アン・オブ・クレーヴズとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 10:52 UTC 版)
「ヘンリー8世 (イングランド王)」の記事における「アン・オブ・クレーヴズとの結婚」の解説
クロムウェルはカール5世に対抗する有力な同盟相手となりえるユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヴィルヘルム5世の姉、アン・オブ・クレーヴズを王妃としてヘンリーに推薦した。宮廷画家のハンス・ホルバインが送られてアンの肖像画が描かれ、これを見たヘンリーはアンと結婚した。ホルバインがアンを美化しすぎて描いたのではないかという推測もあるが、彼はその後も宮廷で重んじられたため、肖像画は正確であった可能性が高い。 だが結婚後すぐにヘンリーは離婚を求め、アンは離婚に強く抵抗せず、結婚には床入りが伴わなかったことを認めた。アンが以前に別の男(ロレーヌ公フランソワ1世)と婚約していたことを理由にして、結婚は無効とされたが、アンは「王の妹」としての地位を得て、2軒の家と十分な年金を約束されて、平和裏に王のもとを去った。ヘンリーは既に、ノーフォーク公の姪で、アン・ブーリンの従妹かつ侍女であったキャサリン・ハワードに心を移していた。何人かの宗教改革家は処刑され、クロムウェルは王の寵愛を失い、宮廷では姪を通じて権力を得たノーフォーク公などの政敵に囲まれるようになった。1540年、クロムウェルは大逆罪などで逮捕され処刑された。
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