アンリ3世_(ブラバント公)とは? わかりやすく解説

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アンリ3世 (ブラバント公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/06 01:04 UTC 版)

アンリ3世
Henri III
ブラバント公
在位 1248年 - 1261年

出生 1230年
死去 1261年2月28日
配偶者 アデライード・ド・ブルゴーニュ
子女 アンリ4世
ジャン1世
ゴドフロワ
マリー
家名 ブラバント家
父親 ブラバント公アンリ2世
母親 マリア・フォン・ホーエンシュタウフェン
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アンリ3世のシール

アンリ3世(Henri III de Brabant, 1230年 - 1261年2月28日)は、ブラバント公(在位:1248年 - 1261年)。

生涯

父はブラバント公アンリ2世、母はローマ王フィリップの娘マリア[1]。異母弟にヘッセン方伯ハインリヒ1世がいる。対立王に擁立されたテューリンゲン方伯ハインリヒ・ラスペは義兄、ホラント伯ウィレム2世は父方の従兄に当たる。

大空位時代コーンウォール伯リチャードと帝位を争っていたカスティーリャアルフォンソ10世(母方の従弟)からロチエ公爵に叙爵された。これは従来の下ロレーヌ公を改めた爵位で、領土は伴わなかった。

結婚と子女

1251年ブルゴーニュ公ユーグ4世の娘アデライードと結婚[1]、4人の子を儲けた。

  1. アンリ4世(1251年 - 1272年)[1] - ブラバント公位を継承したが、精神障害があったため弟により1267年5月24日に退位させられた。
  2. ジャン1世(1253年 - 1294年)[1] - ブラバント公。最初にフランス王ルイ9世の娘マルグリットと結婚、2度目にフランドル伯ギーの娘マルグリットと結婚[2][3]
  3. ゴドフロワ(? - 1302年)[1] - アールスコート領主、金拍車の戦いで戦死。1277年にイザボー・ド・ヴィエルゾンと結婚。
  4. マリー(1254年 - 1321年) - フランスフィリップ3世と結婚[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f Dunbabin 2011, p. xiv.
  2. ^ Iohannis de Thielrode Genealogia Comitum Flandriæ MGH SS IX, p. 335.
  3. ^ Oude Kronik van Brabant, p. 68.

参考文献

  • Dunbabin, Jean (2011). The French in the Kingdom of Sicily, 1266–1305. Cambridge University Press 
  • C. A. Rethaan Macaré, Oude kronijk van Brabant, in: Codex diplomaticus Neerlandicus. Verzameling van oorkonden, betrekkelijk de vaderlandsche geschiedenis, Kemink en zoon, Utrecht, 1855, pp. 3-85
先代
アンリ2世
ブラバント公
1248年 - 1261年
次代
アンリ4世



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