アンリ3世 (コンデ公)とは? わかりやすく解説

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アンリ3世 (コンデ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/13 14:48 UTC 版)

アンリ3世・ド・ブルボン=コンデ
Henri III de Bourbon-Condé
コンデ公
在位 1686年 - 1709年

出生 (1643-07-29) 1643年7月29日
フランス王国パリ
死去 (1709-04-01) 1709年4月1日(65歳没)
フランス王国パリ
配偶者 アンヌ・ド・バヴィエール
子女 一覧参照
家名 ブルボン=コンデ家
父親 コンデ公ルイ2世
母親 クレール・クレマンス・ド・マイユ=ブレゼ
サイン
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アンリ3世ジュール・ド・ブルボン=コンデ(Henri III Jules de Bourbon-Condé, 1643年7月29日 - 1709年4月1日)は、ブルボン朝時代のフランスの軍人、貴族。コンデ公モンモランシー公1689年アンギャン公と改称)、ギーズ公

生涯

「大コンデ」と呼ばれるコンデ公ルイ2世と、クレール・クレマンス・ド・マイユ=ブレゼ(リシュリュー枢機卿の姪)の長男として、パリで生まれた。

軍人となるべく育てられ、父と共にオランダ侵略戦争に従軍、1673年にはライン前線の担当となった。しかし父ほどの才能はなく、名ばかりの実績しかなかった。良い教育を受けたものの、意地の悪い性格で知られていた。晩年にはリカントロピー(lycanthropy, 精神病の一種)を患い、狂気の状況にあった。

子女

1663年、プファルツ=ジンメルン伯エドゥアルトプファルツ選帝侯フリードリヒ5世の息子、カール1世ルートヴィヒの弟)と妃アンヌ・ド・ゴンザーグの娘アンヌ・ド・バヴィエールと結婚。9子をもうけた。

先代
ルイ2世
コンデ公
1686年 - 1709年
次代
ルイ3世
先代
ルイ
モンモランシー公
1686年 - 1689年
次代
アンギャン公に改称
先代
モンモランシー公から改称
アンギャン公
1689年 - 1709年
次代
ルイ1世
先代
マリー
ギーズ公
1688年 - 1709年
次代
ルイ2世



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