アンボワーズの陰謀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 08:18 UTC 版)
「アンボワーズ城」の記事における「アンボワーズの陰謀」の解説
ユグノー戦争中の1560年、ブルボン家の面々によってギーズ公フランソワへの陰謀が企てられた。当時ギーズ公は幼いフランソワ2世の名の下、実質的にフランスを支配していた。しかし事前にギーズ公に察知されて計画は失敗に終わり、多くのユグノーに処せられた絞首刑が終了するまで1ヶ月を要した。事態の収拾までには1200人のプロテスタントが絞首刑に処せられ、城壁や祝事の際に旗やタペストリーをかける鉄のフックやアンボワーズ城のバルコニー(Logis du Roy)に吊るされた。宮廷は死臭のために、すぐに街を出て行くことになった。 1563年3月12日カトリーヌ・ド・メディシスは、王と自分を誘拐する陰謀に関わったとされたコンデ公ルイ1世との間で「アンボワーズの休戦協定」に署名したが、うまくいかなかった。「アンボワーズの勅令」はプロテスタントに、街の城壁の外なら領主と裁判官の教会においてのみ信仰を認める、というものだった。どちらの側もこの妥協に満足できず、この勅令が尊重されることはあまりなかった。
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