アントニオ・バラガン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 01:38 UTC 版)
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はバラガン、第二姓(母方の姓)はフェルナンデスです。 |
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名前 | ||||||
本名 | アントニオ・バラガン・フェルナンデス Antonio Juan Barragán Fernández |
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愛称 | トニョ | |||||
ラテン文字 | Antonio BARRAGAN | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1987年6月12日(35歳) | |||||
出身地 | ポンテデウメ | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ![]() |
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ポジション | DF (RSB) / MF | |||||
背番号 | 19 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2004-2005 | ![]() |
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クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005-2006 | ![]() |
0 | (0) | |||
2006-2009 | ![]() |
26 | (2) | |||
2009-2011 | ![]() |
41 | (0) | |||
2011-2016 | ![]() |
110 | (1) | |||
2016-2018 | ![]() |
26 | (0) | |||
2017-2018 | → ![]() |
29 | (0) | |||
2018-2020 | ![]() |
26 | (0) | |||
2020- | ![]() |
43 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2005 | ![]() |
4 | (0) | |||
2005-2006 | ![]() |
11 | (0) | |||
2007 | ![]() |
5 | (0) | |||
2007 | ![]() |
1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年7月20日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アントニオ・バラガン・フェルナンデス(Antonio Barragán Fernández, 1987年6月12日 - )は、スペイン王国ガリシア州ア・コルーニャ県ポンテデウメ出身のサッカー選手。エルチェCF所属。ポジションはディフェンダー。
経歴
セビージャFCのカンテラ出身だが、ラファエル・ベニテスのお眼鏡にかない、トップチームに上がる前にリヴァプールFCへと引き抜かれた。しかしリヴァプールではUEFAチャンピオンズリーグの予備選に一試合出場したのみで、リザーブチームでプレーしていた。
2006年の夏に開催されたU-19欧州選手権で不動の右サイドバックとして出場し、優勝に貢献。大会終了後、セビージャ時代の恩師であるホアキン・カパロス監督の誘いで、デポルティーボに買い戻しオプション付きで移籍した。同年10月にはレアル・ソシエダ戦でリーガ・エスパニョーラ初ゴール。同月、U-21スペイン代表に初招集された。またガリシア州選抜として、2006年末にリアソールで行われたエクアドル戦に出場した。2007年夏に就任したミゲル・アンヘル・ロティーナ監督がベテラン主体のチーム作りを進めたため、以降はマヌエル・パブロの控えという扱いであった。2009年6月8日にデポルティーボとの契約満了に伴い、レアル・バリャドリードに移籍。
2007年2月のU-21イングランド代表戦では、自陣からドリブルで相手ゴール前まで持ち込みフラドのゴールをアシスト。U-21代表での初アシストを記録した。
所属クラブ
- ユース経歴
セビージャFC 2004-2005
- プロ経歴
リヴァプールFC 2005-2006
デポルティーボ・ラ・コルーニャ 2006-2009
レアル・バリャドリード 2009-2011
バレンシアCF 2011-2016
ミドルズブラFC 2016-2018
レアル・ベティス 2017-2018 (loan)
レアル・ベティス 2018-2020
エルチェCF 2020-
タイトル
- U-19スペイン代表
外部リンク
- BDFutbol profile
- アントニオ・バラガン – FIFA主催大会成績 (英語)
- Socoerway
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固有名詞の分類
- アントニオ・バラガンのページへのリンク