アレッサンドロ・マルチェッロとは? わかりやすく解説

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アレッサンドロ・マルチェッロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 01:48 UTC 版)

アレッサンドロ・マルチェッロ
Alessandro Marcello
基本情報
別名 エテーリオ・スティンファーリコ
生誕 1669年8月24日
イタリアヴェネツィア
死没 (1747-06-19) 1747年6月19日(77歳没)
イタリアパドヴァ
職業 数学者、哲学者、音楽家
活動期間 バロック

アレッサンドロ・イニャツィオ・マルチェッロ(またはマルチェルロとも、Alessandro Ignazio Marcello, 1669年8月24日 - 1747年6月19日)は、数学者哲学者音楽家として、多分野にわたって活躍したイタリア貴族バロック・コンチェルトの作曲家として有名。

アレッサンドロ・マルチェッロは、しばしば偽名「エテーリオ・スティンファーリコ Eterio Stinfalico」を用いて、《12のカンタータ》作品1のほか、数冊のコンチェルト集を出版した。今日ではその作品はめったに演奏されなくなっているが、生前のアレッサンドロは卓越した作曲家として、また楽器蒐集家としても著名であり、代表作のひとつ《オーボエ協奏曲ニ短調》は、バッハによってチェンバロ曲(BWV974)に編曲された。このほかの作品としては、2つのオーボエまたはフルートのための協奏曲集『ラ・チェトラ』(La Cetra、1738年、アントニオ・ヴィヴァルディの作品9『ラ・チェトラ』(1727年)と同名)[1]や《リコーダー・アンサンブルと弦楽器、通奏低音のための協奏曲ト長調》などがある。《オーボエ協奏曲ニ短調》は第2楽章が特に有名で、イタリア映画「ベニスの愛イタリア語版英語版」(1970年)のラストシーンで主人公が演奏する曲として使われ、再び脚光を浴びるようになった。

弟のベネデット・マルチェッロも兄と同様に作曲家で、ヴィヴァルディとその周辺の活動を風刺した『当世流行劇場』の著者として知られている。

脚注

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