アレクサンドル・ル・ブロンとは? わかりやすく解説

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アレクサンドル・ル・ブロン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 23:23 UTC 版)

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ジャン=バティスト・アレクサンドル・ル・ブロンまたは、アレクサンドル・ジャン・バティスト・ル・ブロン1679年 - 1719年)は、フランス都市デザイナー庭園デザイナー、建築家。 1716年からはロシアサンクトペテルブルクでチーフアーキテクトにもなった。フランスで主に宮廷庭園を手がけているため、サンクトペテルブルクのル・ブロンのマスタープランは、「庭師による考案計画」などとして語られている。

経歴

王立絵画彫刻アカデミーのメンバーでもあり、宮廷画家彫刻家版画商であったジャン・ル・ブロンの息子としてパリに生まれる。 彼は母方の叔父ジャン・ジラール、オルレアン公爵に建築を学んだとかまた、アンドレ・ル・ノートルに庭園の教育を受けたとされ、ル・ノートルの弟子と称されている。

主要作品

  • ホテル・ド・ヴァンドーム (Chaulnesとも呼ばれる、Rue D'Enfer、1706年から1707年。現在は国立高等鉱山学校パリ校に)
  • デュラスホテル・サン・トーギュスタン再建(デュラス公爵の未亡人から依頼。1708年)
  • オテル・ドゥ・クレルモン(69 RUE DE・レンヌ、ジャンヌテレーズアルバート・デ・ルイネ、Saissac、1713年)
  • ハウス・ムードン(ジャンヌ・バティスト・ド・アルバート・デ・ルイネ 、コンテス・ド・ワート、1714年)
  • 夏の離宮(1714年完成 サンクトペテルブルク)
  • オーシュ大司教宮殿
  • カネ庭園(ナルボンヌ近郊)
  • ルニョー家シャティヨンオー=ド=セーヌ
  • Apraxine宮殿(サンクトペテルブルク、1717年から1718年)
  • コンスタンティン宮殿(ゴフ 、1717年から1719年)
  • ペテルゴフ公園(1717年から1718年)

参考文献

  • ヨーロッパの造園 (SD選書 (43)) : 岡崎文彬 (1969)
  • 名園のはなし: 岡崎文彬 (1985)
  • ヨーロッパの名園 : 岡崎文彬 (1973)
  • 造園の歴史 (1) : 岡崎文彬 (1981)
  • 欧米公園緑地発達史: 佐藤昌:都市計画研究所(1968)



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