アルバム・ピアーヴェ
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「フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ」の記事における「アルバム・ピアーヴェ」の解説
1867年の脳卒中で不随状態のピアーヴェを支援するのに、ヴェルディはユニークな方法を考案した。ジュゼッペ・ティグリの詩集「トスカーナ民衆歌集」に有名作曲家の曲を付け、出版した歌曲集の印税収入をピアーヴェに寄贈しよう、というのである。1869年にヴェルディはこれを楽譜出版社リコルディ社に提案、その書簡中で彼は驚くべきことに、リヒャルト・ワーグナーをその一員として加えられないだろうか、と書いている。これが実現したならば、19世紀を代表するヴェルディとワーグナー両巨人作曲家の、もちろん唯一の共同作業ともなり、当時も(現代でも)注目を集めたことだろうが、ワーグナーが全く関心を示さなかったらしくその企ては潰えた。 結局ワーグナーなしで1869年に出版されたこの小品集はしばしば「アルバム・ピアーヴェ」と呼ばれ、ヴェルディは軽妙なストルネッロ「君は僕を愛さないと言う」Tu dici che non m'ami を提供している。ヴェルディ以外の参加作曲家はアントニオ・カニョーニ、フランソワ・オーベール、 メルカダンテ、フェデリーコ・リッチ、アンブロワーズ・トマである。
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