アイルランド共和国での投獄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/28 06:23 UTC 版)
「ポール・マギー」の記事における「アイルランド共和国での投獄」の解説
その後、マギーは国境を超えてアイルランド共和国へと向かった。脱走から11日後、マギーはキルデア州ボーデンスタウン(英語版)で開かれていたウルフ・トーン将軍の記念式典に姿を表した。アイルランド陸軍(英語版)およびアイルランド警察特別捜査班(英語版)はすぐに彼の逮捕を試みたが、群衆から投石を受け、道も塞がれていた為に逃げられてしまった。1982年1月、マギーはフスコと共に逮捕され、脱走について10年の懲役が宣告された。釈放が迫る1989年、マギーは自身を北アイルランドへ送還させない為の法廷闘争を始めた。1991年10月、ダブリンの最高裁はウェストマコット大尉殺害についての懲役を改めて果たすべくマギーを北アイルランドに送り返そうとした。ところが彼は保釈中に脱走して行方をくらまし、改めて逮捕状が発行された。
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