アイヒマン実験とは? わかりやすく解説

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ミルグラム実験

(アイヒマン実験 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/05 14:53 UTC 版)

ミルグラム実験(ミルグラムじっけん、: Milgram experiment)とは、閉鎖的な状況における権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものである。アイヒマン実験アイヒマンテストとも言う。50年近くに渡って何度も再現できた社会心理学の分野における古典的な実験である[1]

アメリカイェール大学心理学者スタンレー・ミルグラム1963年にアメリカの社会心理学会誌『Journal of Abnormal and Social Psychology』に投稿した、権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものである。

東欧地域の数百万人のユダヤ人を絶滅収容所に輸送する責任者であったアドルフ・アイヒマンは、ドイツ敗戦後、南米アルゼンチンに逃亡して「リカルド・クレメント」の偽名を名乗り、自動車工場の主任としてひっそり暮らしていた。彼を追跡するイスラエル諜報機関が、クレメントは大物戦犯のアイヒマンであると判断した直接の証拠は、クレメントが妻との結婚記念日に、彼女に贈る花束を花屋で購入したことであった。その日付は、アイヒマンの結婚記念日と一致した。またイスラエルにおけるアイヒマン裁判の過程で描き出されたアイヒマンの人間像は人格異常者などではなく、真摯に「職務」に励む、一介の平凡で小心な公務員の姿だった。

このことから「アイヒマンはじめ多くの戦争犯罪を実行したナチス戦犯たちは、そもそも特殊な人物であったのか。それとも妻との結婚記念日に花束を贈るような平凡な愛情を持つ普通の市民であっても、一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提起された。この実験は、アイヒマン裁判(1961年)の翌年に、上記の疑問を検証しようと実施されたため、「アイヒマン実験」とも言う。

ただし、アイヒマンの実際の人物像については議論があり、同じく元ナチスのウィレム・サッセン(英語: Willem Sassenによるインタビューでは、ホロコーストへの関与に対し「私は少しも後悔していない」と言っている[2]ほか、1945年に『わたしは笑って墓穴に飛び込むだろう。五〇〇万の人間の命がわたしに良心を求めていると思うと、途方もない満足を覚えるからだ』という言葉を残している[3][4]など、彼はもともと反ユダヤ主義者であり、確信的に虐殺に関与したのではないかとも言われている。

実験の結果は、普通の平凡な市民でも、一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことを証明するものであった。そのような現象をミルグラム効果とも言う。

この実験は世界中で何度も繰り返され、結果はおおむね一貫していたが、その解釈やホロコーストへの適用可能性については議論が分かれている。

実験から約50年後の2015年、オーストラリアの制作会社が、シドニーで役者を用いてこの実験を再現した番組を発表した[5]

概要

ミルグラム実験の協力者を募る新聞広告
実験の略図。被験者である「教師」Tは、解答を間違える度に別室の「生徒」Lに与える電気ショックを次第に強くしていくよう、実験者Eから指示される。だが「生徒」Lは実験者Eと結託しており、電気ショックで苦しむさまを演じているにすぎない。

前提条件

この実験における実験協力者は新聞広告を通じて、「記憶に関する実験」に関する参加者として20歳から50歳の男性を対象として募集され、1時間の実験に対し報酬を約束された上でイェール大学に集められた。実験協力者の教育背景は小学校中退者から博士号保持者までと変化に富んでいた。

実験協力者には、この実験が参加者を「生徒」役と「教師」役に分けて行う、学習における罰の効果を測定するものだと説明された。各実験協力者はくじ引きで「教師」、ペアを組む別の実験協力者が「生徒」となった。実際には教師が真の被験者で、生徒役は役者が演じるサクラであり、くじには2つとも「教師」と書かれており、サクラの実験協力者はくじを開けないまま本来の被験者に引かせ、被験者が確実に「教師」役をさせるようにしていた。

実験の内容

被験者たちはあらかじめ「体験」として45ボルトの電気ショックを受け、「生徒」が受ける痛みを体験させられる。次に「教師」と「生徒」は別の部屋に分けられ、インターフォンを通じてお互いの声のみが聞こえる状況下に置かれた。被験者には武器で脅されるといった物理的なプレッシャーや、家族が人質に取られているといった精神的なプレッシャーは全くない。

「教師」はまず2つの対になる単語リストを読み上げる。その後、単語の一方のみを読み上げ、対応する単語を4択で質問する。「生徒」は4つのボタンのうち、答えの番号のボタンを押す。「生徒」が正解すると、「教師」は次の単語リストに移る。「生徒」が間違えると、「教師」は「生徒」に電気ショックを流すよう指示を受けた。また電圧は最初は45ボルトで、「生徒」が1問間違えるごとに15ボルトずつ電圧の強さを上げていくよう指示された。

電気ショックを与えるスイッチには、電圧とともに、そのショックの程度を示す言葉が表記されている。記録映像の残るある実験では以下の表記がなされた。

  1. 15ボルト “SLIGHT SHOCK”(軽い衝撃)[6]
  2. 75ボルト “MODERATE SHOCK”(中度の衝撃)
  3. 135ボルト “STRONG SHOCK”(強い衝撃)
  4. 195ボルト “VERY STRONG SHOCK”(かなり強い衝撃)
  5. 255ボルト “INTENSE SHOCK”(激しい衝撃)
  6. 315ボルト “EXTREME INTENSITY SHOCK”(はなはだしく激しい衝撃)
  7. 375ボルト “DANGER: SEVERE SHOCK”(危険: 苛烈な衝撃)
  8. 435ボルト “X X X”
  9. 450ボルト “X X X”

450ボルトが最大で、435ボルトと共に但し書きはなく、“危険”をさらに超えた強さとして扱われる[7]。被験者は「生徒」に電圧が付加されていると信じ込まされるが、実際には電圧は付加されていない。しかし各電圧の強さに応じ、あらかじめ録音された「『生徒』が苦痛を訴える声」がインターフォンから流された。電圧をあげるにつれて段々苦痛のリアクションが大きくなっていった。記録映像で確認できる生徒のリアクションは、まるで拷問を受けているかの如くの大絶叫で、ショックを受けた途端大きくのけ反るなど、一見してとても演技とは思えない迫力であった。

  1. 75ボルトになると、不快感をつぶやく。
  2. 120ボルトになると、大声で苦痛を訴える
  3. 135ボルトになると、うめき声をあげる
  4. 150ボルトになると、絶叫する。
  5. 180ボルトになると、「痛くてたまらない」と叫ぶ。
  6. 270ボルトになると、苦悶の金切声を上げる。
  7. 300ボルトになると、壁を叩いて実験中止を求める。
  8. 315ボルトになると、壁を叩いて実験を降りると叫ぶ。
  9. 330ボルトになると、無反応になる。

被験者が実験の続行を拒否しようとする意思を示した場合、白衣を着た権威のある博士らしき男が感情を全く乱さない超然とした態度で次のように通告した。

  1. 続行してください。(Please continue or Please go on.
  2. この実験は、あなたに続行していただかなくてはいけません。(The experiment requires that you continue.
  3. あなたに続行していただく事が絶対に必要なのです。(It is absolutely essential that you continue.
  4. 他の選択肢はありません、あなたは続けるべきです。(You have no other choice; you must go on.
  5. 1から4の通告の間に、被験者が拒否をみせると「体に後遺症を残すことはありません。」「責任は我々がとります。」

4度目の通告がなされた後も、依然として被験者が実験の中止を希望した場合、その時点で実験は中止された。そうでなければ、設定されていた最大電圧の450ボルトが3度続けて流されるまで実験は続けられた[8]

実験装置の詳細

実験で使用された電気ショック発生装置は、実際には電流が流れない模擬装置(Type ZLB, Dyson Instrument Company製)であった。30個のスイッチが横一列に配置され、15ボルトから450ボルトまで15ボルト刻みで表示されていた。被験者がスイッチを押すと赤いランプが点灯し、ブザー音が鳴る仕組みになっていた。この装置は現在、アメリカ心理学史アーカイブスに保管されている[9]

実験結果の予測

実験を行うにあたって、ミルグラムによりイェール大学で心理学専攻の4年生14人を対象に、実験結果を予想する事前アンケートが実施された。回答者は全員、実際に最大の電圧を付加する者はごくわずか(平均1.2%)だろうと回答した。同様のアンケートを同僚たちにも内密で行ったところ、やはり一定以上の強い電圧を付加する被験者は非常に少ないだろうとの回答が得られた[10]

また、彼はハーバード大学名誉卒業生のハイム・ホムニックにも意見を求めた。ホムニックは、この実験がナチスの無罪を立証する決定的な証拠にはならないだろうとし、その理由として「貧しい人々の方が協力的になりやすい」と述べている。

さらにミルグラムは、医学部に所属する精神科医40人にも調査を行った。彼らは「犠牲者が解放を求める10回目のショックの時点で、多くの被験者が実験を中止するだろう」と予測した。また、犠牲者が回答を拒否する300ボルトの段階では、わずか3.73%の被験者しか続行しないだろうと考え、「最高電圧を与えるのは、全体の0.1%強に過ぎない」と見積もっていた。

ミルグラム自身も、ナチスが示した服従行動はドイツ人特有の性格に由来するのではないかと疑っており、アメリカ人参加者を対照群としたうえで、ドイツ人参加者を対象に同じ実験を行う計画を立てていた。しかし、予想外の結果が出たため、ドイツ人を対象に同じ実験を実施することは中止された[11]

実験の結果

実際の実験結果は、被験者40人中26人(統計上65%)が用意されていた最大電圧である450ボルトまでスイッチを入れた、というものだった。中には電圧を付加した後「生徒」の絶叫が響き渡ると、緊張の余り引きつった笑い声を出す者もいた。全ての被験者は途中で実験に疑問を抱き、中には135ボルトで実験の意図自体を疑いだした者もいた。何人かの被験者は実験の中止を希望して管理者に申し出て、「この実験のために自分たちに支払われている金額を全額返金してもいい」という意思を表明した者もいた。しかし、権威のある博士らしき男の強い進言によって一切責任を負わないということを確認した上で実験を継続しており、300ボルトに達する前に実験を中止した者は一人もいなかった。

「教師」と「生徒」を同じ部屋にさせた場合や、「教師」を「生徒」の体に直接触れさせることで電圧の罰を与えて従わせる場合など、「教師」の目の前で「生徒」が苦しむ姿を見せた実験も行われたが、それでも前者は40人中16人(統計上40%)・後者は40人中12人(統計上30%)が用意されていた最大電圧である450ボルトまでスイッチを入れたという結果になった。

しかし、そもそも被験者がこのような実験に対して、参加する時点あるいは実験の途中で、本当に人間が電気ショックを受けているのかという疑念を持つのではないかという指摘もある[12][13]

ミルグラム自身のアンケートでは、学習者が電気ショックを受けていると本気で信じたのは被験者全体の約56.1%(369人)であり、その他の回答者は本当に電気ショックを受けているのか疑問を抱いたり、少数は実際に受けてはいないと確信したりしていた。

実験の成果は国内外において賞賛を与えられたが、同時に倫理性の観点からは、痛みを与える要素の社会的イメージについての批判の声もあった。

ミルグラムは1974年の記事「服従の危険性(The Perils of Obedience)」で実験を次のように要約している。

The legal and philosophic aspects of obedience are of enormous importance, but they say very little about how most people behave in concrete situations. I set up a simple experiment at Yale University to test how much pain an ordinary citizen would inflict on another person simply because he was ordered to by an experimental scientist. Stark authority was pitted against the subjects' [participants'] strongest moral imperatives against hurting others, and, with the subjects' [participants'] ears ringing with the screams of the victims, authority won more often than not. The extreme willingness of adults to go to almost any lengths on the command of an authority constitutes the chief finding of the study and the fact most urgently demanding explanation. Ordinary people, simply doing their jobs, and without any particular hostility on their part, can become agents in a terrible destructive process. Moreover, even when the destructive effects of their work become patently clear, and they are asked to carry out actions incompatible with fundamental standards of morality, relatively few people have the resources needed to resist authority. 訳:服従の法的・哲学的側面は極めて重要だが、それらは現実の状況において大多数の人々が実際にどう行動するかについてはほとんど語っていない。私はエール大学で単純な実験を設定し、一般市民が実験者に命じられただけでどれほどの苦痛を他人に与えるのかを検証した。権威の力と「他人を傷つけてはならない」という最も強い道徳的命令とをぶつけ合ったところ、犠牲者の悲鳴が耳に響く中でも、権威が勝利することが多かった。大人が権威の命令に従ってほとんどどんな行為でも遂行しようとする極端な意欲こそが、この研究の主要な発見であり、最も緊急に説明を要する事実である。普通の人々が、ただ自分の仕事をしているだけで、特に敵意を抱いているわけでもないのに、恐ろしい破壊的過程の手先になりうる。そして、たとえその行為の破壊的結果が明らかになり、基本的な道徳基準に反する行為を求められたとしても、権威に抵抗するための資質を持つ人は比較的少ない。

[14]

その後の研究

その後、ミルグラムや他の心理学者たちは世界各地で後続実験を実施し、同様の結果を得た[15]。ただし、倫理規定等によって電圧のかけ方など実験の手法に若干修正が加えられることはあった[4][16][17]。ミルグラムはまた、実験環境が服従度に与える影響も調べた。イェール大学という権威ある場ではなく、都市の裏通りにある無登録の雑居オフィスで実施したところ、服従率は65%から47%へと低下した。このことは、「単なる権威」以上に「科学的な信頼性」が大きな役割を果たす可能性を示唆していた。さらに重要な変数は、学習者と教師の物理的距離であった。二者が同じ部屋にいる条件では、服従率は40%に低下した。別の実験では、複数人の集団の一員となった場合の協力意欲が調べられた[18][19]

メリーランド大学ボルチモア郡校のトーマス・ブラスは、この実験の繰り返し結果についてメタ分析を行った。その結果、致死レベルの電圧を加える意欲を示した被験者の割合は28%から91%の範囲に分布していたが、時代的な傾向は見られなかった。また、米国内の研究の平均(61%)は国外の研究の平均(66%)と近かった[20][21]

最終的な電撃を拒否した被験者たちは、実験の中止を強く求めたり、犠牲者の健康状態を確かめるために部屋を出たりすることはしなかった(ミルグラムの記録による)。

ミルグラムは実験とその結果をまとめたドキュメンタリー映画『服従(Obedience)』を制作した。また、彼は一連の社会心理学フィルムを5本制作し、その一部は本実験を扱っている。

一部では実験の再現性に対する疑義も唱えられている。オーストラリアのジャーナリスト兼心理学者であるジーナ・ペリーによると、オーストラリア・イタリア・ドイツでの研究では、指示に対する服従率がミルグラムの実験よりも明らかに低かったという。また、南アフリカでの研究は、被験者が16人のみである実験の学生によるレポートだったという[12]

バーガーによる追試(2009年)

2009年、サンタクララ大学のジェリー・M・バーガーは現代の倫理基準に適合させた修正版実験を実施した。最大電圧を150ボルトに制限し、実験直後に被験者に種明かしをする等の配慮をした上で実施したところ、70%の被験者が150ボルトまで電撃を与えた。これは1960年代の実験(82.5%)とほぼ同等の結果であり、時代を経ても人間の権威への服従傾向は変わらないことが示された[22]

解釈と批判

ミルグラムは、自著の中で「自分の実験室での実験とナチス・ドイツでの出来事の双方に、共通の心理的プロセスが中心的に関わっている」と主張し、科学界から直接的な批判を引き起こした。キーン州立大学のホロコースト・ジェノサイド研究学科長(元ウィットワース大学心理学部長)のジェームズ・ウォーラーは、ミルグラムの実験は「ホロコーストの出来事とうまく対応していない」と論じた。彼の主張は次の通りである:

  1. ミルグラム実験の被験者は、自分の行為が永久的な身体的損傷をもたらすことはないと事前に保証されていた。しかし、ホロコーストの加害者たちは、自分たちが犠牲者を直接殺害・傷害していることを十分に理解していた。
  2. 実験室の被験者は犠牲者を知らず、人種差別やその他の偏見による動機付けもなかった。対してホロコーストの加害者たちは、生涯にわたる人格形成の中で犠牲者を徹底的に価値のない存在とみなしていた。
  3. 実験において罰を与える役割の人々は、サディストでも憎悪の扇動者でもなく、しばしば苦悩や葛藤を示した。これは、あらかじめ設定された明確な「目標」を持ち、それを遂行した最終解決の設計者や実行者とは対照的である。
  4. 実験は1時間で終わり、被験者に自らの行動の意味を熟考する時間はなかった。一方、ホロコーストは数年にわたり続き、関わった個人や組織には道徳的判断を下す十分な時間があった。[23]

トーマス・ブラスの見解としては、ミルグラムのアプローチはホロコーストを完全に説明できるものではない。冷淡な官僚がユダヤ人をアウシュビッツに送り込むのを、じゃがいもをブレーマーハーフェンに送るのと同じような日常業務として遂行する「義務的な破壊性」を説明することはできるかもしれない。しかし、ホロコーストに特徴的だった熱狂的で独創的、かつ憎悪に基づく残虐行為を説明するには不十分である[24]

『服従の心理』訳者の山形浩生も、この実験における被験者の「余裕の無さ」を指摘する。被験者がその場で「教師」役としての手順を修得し、30分ほどで「一気呵成に」実験が実施されたためにその場の勢いに流されたのではないか、と述べる。仮に当時実験を二日に分け、明日続きをするために来てもらいたいと伝え、もう一度来て続きに参加してくれるかを確認したならば、続きを断る人が多数いただろう、と推測している。

2004年、『Jewish Currents』誌で、1961年にイェール大学での実験に「教師」として参加したジョセフ・ディモウは、早期に実験から撤退した経緯を記し、「この実験は、普通のアメリカ人がナチ時代のドイツ人のように不道徳な命令に従うかどうかを調べるために仕組まれていたのではないか」と疑っていたと述べている[25]

2012年、オーストラリアの心理学者ジーナ・ペリーはミルグラムのデータと著作を調査し、ミルグラムが結果を操作していたと結論づけ、「(公表された)実験の記述と実際に起こったことの証拠との間に不穏な食い違いがある」と指摘した。彼女は「実験に参加した人の半数しか実験を本物だと信じておらず、その中で66%は実験者に従わなかった」と書いている[26][27]。ペリーはこの発見を「予想外の結果」であり、「社会心理学を困難な状況に追い込むもの」と表現した[28]

一方、ネスター・ラッセルとジョン・ピカードはペリーの見解を批判する書評を執筆し、ペリーが次の点に触れていないと指摘した――すなわち、ミルグラムの基本的な実験手続きを複製したり、わずかに変えたりした研究は20件以上存在し、複数の国や環境、さまざまなタイプの「犠牲者」を用いて行われてきたということである。そして、大半の実験(すべてではないにせよ)はミルグラムの元の発見を支持する傾向を示している[29]

イェール大学の金融学教授ロバート・J・シラーは著書『根拠なき熱狂 (Irrational Exuberance)』の中で、ミルグラム実験を部分的に説明できる別の要因を指摘している。 「人々は、専門家が「大丈夫だ」と言えば、たとえそうは思えなくても本当に大丈夫なのだと学んできた。(実際、実験者の言っていたことは正しかった。すなわち「電撃」を与え続けても問題はなかった――ほとんどの被験者がその理由に気づかなかったにせよ。)」[30]

ミルグラム実験の結果については「確証バイアス的信念の持続 (belief perseverance)」を根本原因とする説明もある[31]。つまり、 「人は、見かけ上は善意に見える権威が実は悪意に満ちていると理解することができない。たとえその権威が悪意的であることを強く示す圧倒的な証拠を突きつけられても、なお理解できない。したがって、被験者の驚くべき行動の根本原因は概念的なものであり、人が「自らの人間性を放棄して、大きな制度的構造に自己を溶け込ませる能力」にあるという説明は誤りである可能性がある」 この説明は、2009年にBBCの科学ドキュメンタリー番組『Horizon』で実施されたミルグラム実験の再現で一定の支持を得ている。12人の参加者のうち、最後まで続行を拒否したのは3人だけだった。この回で社会心理学者クリフォード・ストットは、科学的探求の理想主義がボランティアに与える影響について語った。彼は次のように述べている: 「影響はイデオロギー的なものだ。彼らが信じる「科学とは何か」に関わっている。科学は社会に役立つ有益な成果と知識を生み出す前向きな営みだと信じられている。科学は善の体系を提供するという感覚があるのだ」[32] この理想主義の重要性に基づき、近年の研究者たちは「積極的追従 (engaged followership)」の視点を提案している。クイーンズランド大学の社会心理学者アレクサンダー・ハスラム、スティーヴン・ライヒャー、メーガン・バーニーによる最近の研究では、ミルグラムのアーカイブを調査した結果、実験者の「プロッド(発言)」が命令的である場合、人々は従う可能性が低いことが明らかになった。しかし「この実験は科学のために必要なのです(The experiment requires you to continue)」というように、科学の重要性を強調する場合、人々は従いやすいことが分かった[33]。研究者たちは、これは人々が単にリーダーの命令に従っているのではなく、「科学的目標を支援したい」という願望や、学習者との同一化の欠如によって実験を続行する意欲を持っているためだと説明している[34][35]

神経科学的な研究でも、仮想の「学習者」に電撃を与える実験が行われた。被験者にはあらかじめ「画面に映る学習者は実在の人間ではない」と知らされていたが、電撃を受けるその映像を見ても、通常なら共感的反応で活性化される脳領域は作動しなかった[36]

関連文献

関連項目

脚注

  1. ^ Marcus, Gary (2013年5月1日). “The Crisis in Social Psychology That Isn’t” (英語). The New Yorker. ISSN 0028-792X. https://www.newyorker.com/tech/annals-of-technology/the-crisis-in-social-psychology-that-isnt 2025年9月2日閲覧。 
  2. ^ Bettina Stangneth, Eichmann Before Jerusalem: The Unexamined Life of a Mass Murderer (London, 2014).
  3. ^ 'The Adolph Eichmann Trial' , 1961 in Great World Trials (Detroit, 1997),pp.332-7
  4. ^ a b ルドガー・ブレグマン 『Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章』(文藝春秋 野中香方子訳 2021)
  5. ^ 日本放送協会「ショックルーム 服従と抵抗の心理学(仮)|BS世界のドキュメンタリー|NHK BS1」『BS世界のドキュメンタリー|NHK BS1』。2025年9月2日閲覧。
  6. ^ 参照した記録映像の解像度がかなり低く、この表示に関しては“BLIGHT”が正しいか不明。BLIGHTは植物の病気を表す名詞、またはしおれさせるなどの意味をもつ動詞であり、一般に形容詞的用法はない(OEDより)。よって、表示の英語、または訳語が正しいかは検証が必要である。
  7. ^ - YouTube”. www.youtube.com. 2025年9月2日閲覧。
  8. ^ 死に至る感電で重要な要素は電圧ではなく電流である。電圧だけではかなり高くとも死亡する危険性は低く、冬場に脱衣などの際静電気で音がする電圧で1~2万ボルト、護身防犯用として日本でも一般に市販されているスタンガンでも電圧は数万ボルトから数十万ボルトある。電流が1アンペア以上になると危険であり、通常の家庭用電源コンセントの100ボルトでも感電死する危険性が高い。ただ、電気抵抗が一定であれば、オームの法則により電圧と電流は比例するため、電流を上げる手段として電圧を上昇させるのは当然の手法である。
  9. ^ Blass, Thomas (2004). The Man Who Shocked the World: The Life and Legacy of Stanley Milgram. Basic Books. ISBN 978-0-7382-0399-7.
  10. ^ Milgram, Stanley (1963). "Behavioral Study of Obedience". Journal of Abnormal and Social Psychology. 67 (4): 371–8. CiteSeerX 10.1.1.599.92. doi:10.1037/h0040525. PMID 14049516. S2CID 18309531.
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  36. ^ Cheetham, Marcus; Pedroni, Andreas; Antley, Angus; Slater, Mel; Jäncke, Lutz; Cheetham, Marcus; Pedroni, Andreas F.; Antley, Angus; Slater, Mel (January 1, 2009). "Virtual milgram: empathic concern or personal distress? Evidence from functional MRI and dispositional measures". Frontiers in Human Neuroscience. 3: 29. doi:10.3389/neuro.09.029.2009. PMC 2769551. PMID 19876407.



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