われら光の子
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| 健民の歌 われら光の子 | |
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| 作詞 | 多々良英秋 | 
| 作曲 | 古関裕而 | 
| 採用時期 | 1957年7月7日[1] | 
| 言語 | 日本語 | 
健民の歌「われら光の子」(けんみんのうた われらひかりのこ)は日本の都道府県の一つ、静岡県で選定された体育歌である。作詞・多々良英秋、作曲・古関裕而。
解説
| 「健民の歌 われら光の子」 | |
|---|---|
| (A面) 岡本敦郎 / (B面) 堀内きぬ子、武島冨代子 の シングル  | 
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| A面 | われら光の子 | 
| B面 | 新駿河ぶし | 
| リリース | |
| 規格 | SPレコード | 
| ジャンル | 体育歌、新民謡 | 
| レーベル | 日本コロムビア(A2847) | 
| 作詞・作曲 |  作詞:多々良英秋(#A), 北原白秋(#B) 作曲:古関裕而(#A), 町田嘉章(#B)  | 
    
1957年(昭和32年)の第12回静岡国体開催に当たり「いつ、どこでも楽しく歌える歌」を作成意義とする記念歌「健民の歌」として企画された[2][3]。歌詞は懸賞募集を経て静岡市役所職員の多々良英秋による応募作が入選となり、スポーツ音楽で定評のあった古関に作曲を依頼して7月7日に静岡県民会館で開かれた「静岡県郷土芸能大会」の席上で発表演奏が行われる[2]。8月10日、岡本敦郎の歌唱により日本コロムビアが製造したSP盤(規格品番:A2847)が県庁から県内の市役所・町村役場に配布された[2]。歌詞と楽譜は1963年(昭和38年)刊行の『静岡県体育史』で巻頭口絵に収められている。
この当時、静岡県は常設的な県民歌および県旗を制定しておらず、国体の開会式では県体育協会旗を掲揚し[注 1]、健民歌「われら光の子」が県民歌の代替曲として演奏されている[2]。静岡県における常設的な県民歌の制定は、第12回国体開催から11年後の1968年(昭和43年)に「静岡県歌」が作られたことにより果たされた。
参考文献
- 『静岡年鑑』1962年版(郷土をよくする会、1962年) NCID AN10142326
 - 静岡県体育協会 編『静岡県体育史』(1963年) NCID BN15191622
 - 静岡県体育史編集委員会 編『静岡県体育史』(静岡県体育協会、1978年) NCID BN05239879
 - 『静岡大百科事典』(静岡新聞社、1978年) NCID BN01648912
 
脚注
注釈
出典
関連項目
- 都道府県関連の楽曲一覧
 - 福島県スポーツの歌 - 「われら光の子」と同じく、県民歌より先に制定された福島県の体育歌。古関裕而が作曲した点も共通。
 
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