わたしたちの伝説の一冊
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「いまさら翼といわれても」の記事における「わたしたちの伝説の一冊」の解説
初出:『文芸カドカワ』Vol.21(2016年10月号)。 文化祭の一件以降、摩耶花の所属する漫画研究会(漫研)は"漫画を読みたい派(読みたい派)"と"漫画を描きたい派(描きたい派)"の派閥に事実上分かれた。この二つの勢力はやがて互いに敵視し始め、さらに翌年の新入生勧誘期間後、"読みたい派"の事実上のリーダーにしてブレーキ役だった3年の河内亜也子が退部したことにより状況はさらに悪化。漫研はほとんど分裂状態に陥り、"読みたい派と"描きたい派"はそれぞれ日々派閥抗争に明け暮れていた。 そんなある日、摩耶花は"描きたい派"である浅沼から、部費から費用を出して神山高校漫画研究会名義で「漫研」をテーマにした同人誌を描きたいから手伝って欲しいと頼まれる。浅沼の目的は、「同人誌を出したという既成事実を作ることで、"読みたい派"の人たちに『漫画研究会は漫画を描くところだ』というのを示して部内での主導権を握ること」、つまり"読みたい派"に対する事実上のクーデターであった。摩耶花は手伝うことを渋ってはいたものの、とにかく漫画を描きたかったことや書いて読んでもらいたいという思いを抱いていたこともあって最終的に承諾する。 しかし、その同人誌を描くという計画が"読みたい派"に露見してしまい、浅沼・摩耶花は共に漫研で"読みたい派"に吊し上げられてしまう。その結果、"読みたい派"であり次期部長である羽仁に、「同人誌を完成させられたら、読みたい派は退部して別の部を作る。その逆だったら描きたい派は出て行け。」という条件を半ば強引に飲まされてしまった。そんな中でも摩耶花は同人誌に掲載する漫画のネームを描き続けていたが、ある日そのネームが描かれたノートが盗まれてしまう。
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