るり姫伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/01/05 04:53 UTC 版)
戦国時代、1570年(元亀元年)秋、大洲米津の米津城(滝之城とも言われる)を土佐の長宗我部氏が攻めた時の話である。城は奮戦むなしく落城したが、城主の奥方・瑠璃の方は長刀の名手で、また吹き矢を得意とし、その娘の八重姫・九重姫も手裏剣を得意とし、またこれに従う女たちも長刀使いであった。一時は包囲網を抜け出したが、侍女の不用意な一言で相手勢力に残り矢の少ないことを悟られ、奮戦むなしく、一行は白滝にて長宗我部勢に包囲された。とらわれの身となり、辱めをうけることを潔しとせず、奥方は当時2歳のお世継ぎである尊雄丸を抱きかかえ、滝に身を投じた。これに従う侍女たちも次々に身を投じて命を絶った。 現在、この滝つぼは「女郎が渕」として称えられている。また、滝の落ち口近くには「るり姫観音」が、滝つぼの近くには幼き子を抱えた「るり姫塚」が祀られており、崇敬の対象となっている。
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