三上千那
みかみせんな
大津堅田の本福寺第11世住職。大津蕉門の重鎮であった。芭蕉の『野ざらし紀行』の旅の途次貞亨2年春入門。この頃、千那は未だ部屋住みの身であったが、それゆえに特に親しくなる。 しかし、千那は結局保守派で、やがて師の俳諧が変化していくのに追随できず、確執が生まれるようになる。千那宛書簡3(元禄3年8月4日)参照。千那の代表作
誰のぞくならの都の閨の桐(『猿蓑』)
いつ迄か雪にまぶれて鳴千鳥(『猿蓑』)
御袴のはづれなつかし紅粉の花(『猿蓑』)舟引の妻の唱哥か合歓の花(『猿蓑』)
唇に墨つく兒のすヾみかな(『猿蓑』)
高燈籠ひるは物うき柱かな(『猿蓑』)
痩藪や作りたふれの梅の花(『猿蓑』)
常斉にはづれてけふは花の鳥(『猿蓑』)
軒ちかき岩梨おるな猿のあし(『猿蓑』)
それぞれの朧のなりやむめ柳(『續猿蓑』)
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