その他の建立計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 23:43 UTC 版)
1888年(明治21年)、薩摩藩と親交のあった嵯峨実愛の近親者にあたる植田楽斎が発起人となり、京都清水寺の近くに西郷像を建てる計画が存在した。この銅像のデザインは建築家の河合浩蔵が設計したものでイメージ図では軍服で騎乗姿の西郷像となっていた。この計画には樺山資紀や九鬼隆一の呼び掛けで西郷従道も賛同していたが発起人の植田楽斎が亡くなり実現しなかった。
※この「その他の建立計画」の解説は、「西郷隆盛像」の解説の一部です。
「その他の建立計画」を含む「西郷隆盛像」の記事については、「西郷隆盛像」の概要を参照ください。
- その他の建立計画のページへのリンク