さわらび会の主宰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 08:00 UTC 版)
春子の名声が高まったことで、春子のもとには書を習いたいとの人々が押し寄せた。周囲の熱望に応え、春子は同1936年に手習い会を始めた。春子が初めて入選した万葉集の春の歌が「いはばしるたるみの上のさわらびのもえいづる春になりけるかも」であり、この歌に込められた未来への希望、春子の名の「春」をかけ、「さわらび会」と名付けられた。 当時の北海道は、仮名書道の黎明期であり、さわらび会からは多くの指導者が輩出された。書道団体の創玄書道会の創設にも携わり、創玄書道会、毎日書道展、現代女流書展の名誉会員も歴任した。
※この「さわらび会の主宰」の解説は、「松本春子」の解説の一部です。
「さわらび会の主宰」を含む「松本春子」の記事については、「松本春子」の概要を参照ください。
- さわらび会の主宰のページへのリンク