おくれて来た栄光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 19:06 UTC 版)
「キャサリン・マンスフィールド」の記事における「おくれて来た栄光」の解説
ヴァージニア・ウルフは早くからマンスフィールド作品からの影響を認め、「私に嫉妬心を抱かせる唯一の作品」とさえ言っていた。死の報に接し、ウルフは When I began to write, it seemed to me there was no point of writing. Katherine wont read it. (キャサリンがこれを読むことはないのだと考えると、原稿用紙に向かっても、なんだか無駄な気がしてならない。)と嘆いた。 晩年に多くの名作を残したために、マンスフィールドの散文と詩の多くは生前には出版されなかった。妻の死を看取った夫、ジョン・ミドルトン・マリーがそれらを編集し、出版した。彼の努力の結果、二冊の短編集 (Something Childish,1924, The Aloe, 1930) と三冊の未公開書簡集が出版され、9年後に未完作品を集めた巻が出版された。 キャサリン・マンスフィールドは当時最高級の短編作家の一人として名を馳せていた。 Miss Brill 、Prelude 、The Fly といった諸作は多くの輯に収められ、歴史を超えた傑作と評価されている。また、マンスフィールドは時代に先んじてロシアの劇作家アントン・チェーホフを尊敬し、チェーホフが用いたテーマや技法を自らの作品に用いている。惜しくも夭折した閨秀作家として、マンスフィールドは語り継がれていくことだろう。
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