『祖国の記録』『ロシア報知』と皇帝アレクサンドル2世暗殺
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「同時代人」の記事における「『祖国の記録』『ロシア報知』と皇帝アレクサンドル2世暗殺」の解説
ネクラーソフは、1868年にシチェドリンやウスペンスキーらとともに雑誌『祖国の記録(ロシア語版、英語版)』(Отечественные записки)に新たな活動の場を求めることとなる。 一方、ツルゲーネフやレフ・トルストイら貴族出身の穏健で自由主義的な作家たちは、既に活動の場を雑誌『ロシア報知(英語版)』(露: Русскій Вѣстникъ)に移していたが、弾圧後の1879年になると、この暗殺事件のカラコーゾフをモデルとするドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』なども、雑誌『ロシア報知』に連載された。 1879年にナロードニキの過激派が組織化されて「人民の意志」が結成されると、1881年3月13日に党員イグナツィ・フリニェヴィエツキ(英語版)によってアレクサンドル2世は暗殺された。
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