『小川村村誌』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/16 12:26 UTC 版)
生国不明の大屋遠江守という人物には、長男の「長太夫」、次男の「源衛」という2人の息子がいた。長太夫・源衛兄弟は小豆坂の戦いに参加したが、兄弟側の軍勢は劣勢となり、源衛は自刃を決意したが長太夫によって危機を脱した。長太夫は、生きていても仕方が無いと言う源衛を諫め帰農を提案した。源衛は賛成し、兄弟は同国幡豆郡小川の里・前島に居住した。 その後、長太夫・源衛兄弟から9代を経たとき洪水が発生し、村の家屋は全て流された。これにより、村は前島の東にあたる耕地・小向に移住することとなった。小向は石高が355石3斗8升5合あり、これを二分して源衛家、長太夫家とした。
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