『天正年中二宮祭礼帳』
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「美和神社 (笛吹市)」の記事における「『天正年中二宮祭礼帳』」の解説
美和神社には『天正年中二宮祭礼帳』(『祭礼帳』)が伝来している。『祭礼帳』は全75丁で後欠、全体的に虫損が激しいことが指摘される。 社伝に拠れば1575年(天正3年)の成立とされ、記載される武田家臣の人名のうち、御蔵前衆・末木淡路守(家重)は活動時期が永禄末期から天正期で、天正9年に隠居すると天正15年に死去している。また、天川兵部助・天川宮内助の両名は武田氏滅亡後に徳川氏に対して提出された天正壬午起請文に見られることから、社伝通りの天正年間の作成であると考えられている。 内容は戦国期における神事の日付や内容・負担者・費用等が記され、戦国期の神事の実態を知る史料として重視されている。 また、『二宮祭礼帳』にはカツオ・うずわ(ソウダガツオ)・イワシ・アワビなど中世甲斐国における海産物の利用を記録していることも注目されている。
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