『八道総図』の于山島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 07:33 UTC 版)
東国輿地勝覧付属の八道総図(鬱陵島周辺部) 于山島が描かれている地図は多数見つかっているが、その内最も古い地図は1481年(成宗12年)に編纂された『東国輿地勝覧』付属の『八道総図』である。韓国では、世宗実録地理志に基づく推定をこの地図の于山島に当てはめることにより竹島であるとする。日本では、鬱陵島の西にこの様な大きな島は存在しないこと及び同時代の記録である太宗実録に記載された金麟雨の于山島実地調査が鬱陵島を示すことから、二重写しの鬱陵島と考えている。
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