「夏の高校野球」の創案者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 05:23 UTC 版)
「田村木国」の記事における「「夏の高校野球」の創案者」の解説
1915年、箕面有馬電鉄会社(現阪急電鉄株式会社)は、沿線開発の一環として建設した大阪豊中のグラウンドを活用するための相談を大阪朝日新聞社に持ちかけた。このとき担当したのが同社に勤めていた木国で、当時人気の高まっていた中等学校野球の全国大会を提案した。これが上司に認められ、木国は大会開催に向けて各地に赴き参加を呼びかけるなど尽力、第1回全国中等学校優勝野球大会(現全国高等学校野球選手権大会)の実現を見、運営の中心として活躍した。この功績により、1951年の大会で日本高等学校野球連盟から「大会の生みの親」として功労賞が授与されている。
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