「四重殺」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 08:31 UTC 版)
1962年7月12日、南海ホークス対東映フライヤーズ戦の1回裏、無死満塁で東映が記録した。 打者のケント・ハドリが外野飛球を打ちアウト。三塁走者の大沢啓二はタッチアップして本塁へ。二塁走者のバディ・ピート、一塁走者の野村克也もタッチアップを試みるが、両者とも触球されてアウト。その後、大沢のスタートが早かったとの守備側のアピールが認められ、大沢もアウトとなり、「四重殺」が成立した。公式記録上は三重殺である(第3アウトの置き換えにより大沢が第3アウトとなり野村には残塁が記録されたため)。 なお、このケースで守備側がアピールを怠っていれば、大沢の得点が認められ、いわゆる「ルールブックの盲点の1点」が入っていたことになる。
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