「四納言」の時代の終わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/02 07:01 UTC 版)
寛仁3年(1019年)藤原道長が出家したその年に源俊賢が致仕、続いて万寿元年(1024年)に藤原公任も致仕して2年後に出家した。万寿4年(1027年)6月に俊賢が死去すると、12月4日に藤原道長と藤原行成が同日に死去した。長元8年(1035年)、最後まで大臣の地位に望みをつないでいた藤原斉信が死去、最後に公任が長久2年(1041年)に没している(なお、斉信が生前望んでいた大臣の空席が発生するのは、公任の死から更に5年後の藤原実資の死去に伴うものであった)。
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