「価値」に対する「無知」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 08:47 UTC 版)
「ヒッパルコス (対話篇)」の記事における「「価値」に対する「無知」」の解説
ソクラテスが友人に、「利得の愛求(欲深いこと)」や「利得愛求者(欲深者)」とはどういうものか問う。友人は「無価値な物事から、利得を得ることを期待する人々」のことだと答える。 ソクラテスは、それでは「利得愛求者(欲深者)」自身はそれが「無価値な物事」だと「知っている」のか「知らない」のか問いつつ、もし「知らない」のだとしたら彼らは単に「無知な人々」ということになると指摘する。友人は、そういうことではなく、彼らは「よこしまで、利得に目がくらみやすい人々」であり、「無価値な物事」だと「知っている」のに「あえてそこから利得を得ようとする人々」だと主張する。 ソクラテスが、農夫、騎士、船長、将軍、笛吹き・琴弾きなどを例に出して検討した結果、「無価値な物事」だと「知っている」のに「あえてそこから利得を得ようとする人々」は一切見つけることができず、「利得愛求者(欲深者)」は一人もいないということになってしまい、再度「利得愛求者(欲深者)」とは一体どういう人々なのか問う。友人は、いつもがつがつしていて、「無価値な物事」に「過度に執着して利得を愛求している人々」だと答える。ソクラテスは、しかし「無価値な物事」だと「知っている」ことは先の検討で否定されているので、「利得愛求者(欲深者)」はそれが「無価値な物事」であることを「知らない」のであり、「価値がある」と思っているのだと指摘する。友人も同意する。
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