(島根県能義郡広瀬町(現安来市)、鳥取県西伯郡米子町(現米子市)・西伯郡境町(現境港市)、東京都港区)
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櫻内家は旧幕時代には広瀬藩主・松平佐渡守の家臣であった。広瀬藩は3万石の小藩であるが、藩主松平家は徳川将軍家の一門で、したがって小藩とはいいながら格式は高く、藩主はもとより藩士の末に至るまでかなり自尊心が強かったようである。今でいうエリート意識である。祖父・四郎左衛門以前の系譜については、現存する公文書には記載されていない。明治新政府になってから、地方官吏の手によってつくられた戸籍原簿は、四郎左衛門からはじまっている。桜内家には、地方の旧家でよく見せられるような、もったいぶった系図がない。四郎左衛門よりさかのぼって語りえないのはいささか残念である。
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