1995年のF1世界選手権 トピック

1995年のF1世界選手権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 00:55 UTC 版)

トピック

  • ベネトンルノーエンジンの使用権を獲得。タイトルを争うウィリアムズとベネトンが同一エンジンを搭載することになった結果、ルノー搭載車4台が17戦中16勝(表彰台1〜3位独占3回)。コンストラクターズではベネトン・ルノー、ウィリアムズ・ルノーが1、2位。ドライバーズでも上位1〜4位を独占するなど、ルノーエンジンの強さを証明する形となった。
  • 開幕戦ブラジルGPはレース後に燃料規定違反で優勝シューマッハ、2位クルサードが失格。3位ベルガーの繰り上がり優勝と発表された。しかし、3週間後に裁定が覆り、失格が取り消されるという騒動になった。
  • アレジと後藤久美子の交際が日本で話題となり、カナダGP優勝後のアレジの交際宣言がワイドショーで放送されるなどした。
  • ペドロ・ディニスがデビュー。鈴木亜久里がリジェのマーティン・ブランドルとシートを分け合う形でF1復帰。日本GP予選での負傷棄権が最後のレースとなった。鈴木、マンセルの他に、ピエルルイジ・マルティニロベルト・モレノベルトラン・ガショーマーク・ブランデルカール・ヴェンドリンガーといったドライバーもF1から引退した。
  • 井上隆智穂は(自らの非ではない)2度の事故により話題となった。
    • モナコGPにおいて、牽引中であったマシンがジャン・ラニョッティが運転するマーシャルカーにぶつけられて横転する。自身もコクピットに納まった状態の出来事であった。
    • ハンガリーGPにおいて、レース中にエンジントラブルで停止した自身のマシンの火を消そうと、消火器を手に歩み寄ろうとした際にマーシャルカーに轢かれた。

レギュレーション変更

  • 前年から引き続き、安全面を考慮したレギュレーション改正が行われた。スピード抑制のためエンジン排気量を3,500ccから3,000ccへ削減。車体底面のダウンフォース発生効率を下げるため、車体底面の中央部分と両脇部分に50mmの段差を設けるステップド・ボトム規定が導入された。また、クラッシュ時のドライバー保護のため、コクピット周辺の寸法や耐衝撃強度も規定された。

開催地及び勝者

ラウンド レース 開催日 開催地 ポールポジション ファステストラップ 優勝者 コンストラクター レポート
1 ブラジルグランプリ 3月26日 インテルラゴス デイモン・ヒル ミハエル・シューマッハ ミハエル・シューマッハ ベネトン-ルノー 詳細
2 アルゼンチングランプリ 4月9日 ブエノスアイレス デビッド・クルサード ミハエル・シューマッハ デイモン・ヒル ウィリアムズ-ルノー 詳細
3 サンマリノグランプリ 4月30日 イモラ ミハエル・シューマッハ ゲルハルト・ベルガー デイモン・ヒル ウィリアムズ-ルノー 詳細
4 スペイングランプリ 5月14日 バルセロナ ミハエル・シューマッハ デイモン・ヒル ミハエル・シューマッハ ベネトン-ルノー 詳細
5 モナコグランプリ 5月28日 モナコ デイモン・ヒル ジャン・アレジ ミハエル・シューマッハ ベネトン-ルノー 詳細
6 カナダグランプリ 6月11日 モントリオール ミハエル・シューマッハ ミハエル・シューマッハ ジャン・アレジ フェラーリ 詳細
7 フランスグランプリ 7月2日 マニクール デイモン・ヒル ミハエル・シューマッハ ミハエル・シューマッハ ベネトン-ルノー 詳細
8 イギリスグランプリ 7月16日 シルバーストン デイモン・ヒル デイモン・ヒル ジョニー・ハーバート ベネトン-ルノー 詳細
9 ドイツグランプリ 7月30日 ホッケンハイムリンク デイモン・ヒル ミハエル・シューマッハ ミハエル・シューマッハ ベネトン-ルノー 詳細
10 ハンガリーグランプリ 8月13日 ハンガロリンク デイモン・ヒル デイモン・ヒル デイモン・ヒル ウィリアムズ-ルノー 詳細
11 ベルギーグランプリ 8月27日 スパ・フランコルシャン ゲルハルト・ベルガー デビッド・クルサード ミハエル・シューマッハ ベネトン-ルノー 詳細
12 イタリアグランプリ 9月10日 モンツァ デビッド・クルサード ゲルハルト・ベルガー ジョニー・ハーバート ベネトン-ルノー 詳細
13 ポルトガルグランプリ 9月24日 エストリル デビッド・クルサード デビッド・クルサード デビッド・クルサード ウィリアムズ-ルノー 詳細
14 ヨーロッパグランプリ 10月1日 ニュルブルクリンク デビッド・クルサード ミハエル・シューマッハ ミハエル・シューマッハ ベネトン-ルノー 詳細
15 パシフィックグランプリ 10月22日 英田 デビッド・クルサード ミハエル・シューマッハ ミハエル・シューマッハ ベネトン-ルノー 詳細
16 日本グランプリ 10月29日 鈴鹿 ミハエル・シューマッハ ミハエル・シューマッハ ミハエル・シューマッハ ベネトン-ルノー 詳細
17 オーストラリアグランプリ 11月12日 アデレード デイモン・ヒル デイモン・ヒル デイモン・ヒル ウィリアムズ-ルノー 詳細

備考

当初4月に第2戦として予定されていたパシフィックグランプリは、同年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の影響を受け、第15戦へ変更された。その結果、鈴鹿サーキットでの第16戦日本グランプリとあわせて、1国2週連続開催となった。


  1. ^ ただし、1992年は全16戦、1995年は全17戦なため、勝率ではマンセルのほうが上回っている。
  2. ^ 英語版ウィキペディアの記事
  3. ^ GIRO監修 『F1全史 1991 - 1995 第6集』 ニューズ出版、1996年、106-111頁、ISBN 978-4-938495-07-7





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