魔人ドラキュラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/29 02:42 UTC 版)
キャスト
- ドラキュラ伯爵 - ベラ・ルゴシ / 日本語吹き替え - 若山弦蔵
- ミナ・セワード - ヘレン・チャンドラー
- ジョン・ハーカー - デヴィッド・マナーズ / 日本語吹き替え - 朝戸正明
- レンフィールド - ドワイト・フライ
- ヴァン・ヘルシング教授 - エドワード・ヴァン・スローン
- セワード博士 - ハーバート・バーンストン
- ルーシー・ウェストン - フランシス・デイド
- ブリッグス - ジョアン・スタンディング
- マーティン - チャールズ・ジェラード
※吹替放送1964年2月20日NET「ショック!」21:45~22:45 放映タイトルは『吸血鬼ドラキュラ』
製作
1897年に発表されたイギリスのブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』は、1920年代に同国で舞台作品としてロングランヒットを記録し、1922年にはF・W・ムルナウによって『吸血鬼ノスフェラトゥ』として映画が公開された。しかし、これは映画化の許可を得ていなかったため、ストーカーの未亡人は著作権侵害として裁判所に訴えて勝訴し、映画のネガとプリントの破壊が命令された[2]。1927年にはアメリカのブロードウェイ公演でも大成功を収めた。それに目を付けたユニバーサル映画は、当時急激に浸透していたトーキー作品として映画化を企画する。カール・レムリ・Jrは映画化の権利を取得し、脚本家のギャレット・フォートは脚本の執筆に際して『吸血鬼ノスフェラトゥ』を研究した。同作を参考にしたシーンには、「レンフィールドが指を怪我して血を流し、ドラキュラが血を吸おうと近付くが、直後に十字架が目に入り怯える」というものがある。
ドラキュラ役には「千の顔を持つ男」と称された当時高い人気を誇った怪優で、『London After Midnight』(1927年)で吸血鬼役(実際は吸血鬼に扮した刑事)を演じた経験のあるロン・チェイニーが内定、監督も同作のトッド・ブラウニングに決定した。しかしチェイニーは1930年に47歳で急死し 、レムリは代わりの俳優としてポール・ムニ、チェスター・モリス、イアン・キース、ジョン・レイ、ジョセフ・シルドクラウト、アーサー・キャリウェ、ウィリアム・コートニーを検討した。その折、ブロードウェイ版舞台でドラキュラを演じたハンガリー出身の俳優ベラ・ルゴシが、別の舞台に出演するためにロサンゼルスを訪れていた[2]。ルゴシは俳優として長いキャリアを持っていたが、ハンガリー訛りが強く英語下手のため、アメリカでは大役に恵まれずにいた。ユニバーサルは最終的に週給500ドルを提示し、7週間3,500ドルの契約でルゴシを起用した[2][3]。
制作にあたってストーリー展開やドラキュラ像はほぼ舞台版が踏襲された。イギリスに渡航する際の嵐のシーンは、1925年公開のサイレント映画『The Storm Breaker』のシーンを流用している。流用するに際して、トーキー映画用の毎秒24フレームの撮影速度で編集し、ドラキュラとレンフィールドのシーンを新たに加えている[2]。また、映画の効果を高めるために長時間の無音シーンと文字のクローズアップを用いるなど、サイレント映画の手法を一部で採用している。ジェームズ・ベラーディネリは俳優の演技について、サイレント映画のものだと指摘している[4]。
- ユニバーサル・スタジオ・ジャパン内にあるハリウッド・エリアのユニバーサル・モンスター・ライブ・ロックンロール・ショーの建物内には、ベラ・ルゴシが実際に着ていた[Dracula]のコスチュームと、杖、帽子、手袋が飾られている他、ヘレン・チャンドラーが着用した[ミナ・セワード]の衣装が展示されています。
評価
完成した本作はスローなテンポで荘厳なゴシックホラーの世界を映像で再現、ロキシー劇場では公開48時間で5万枚のチケットを売り上げ、ユニバーサル製作の1931年の映画の中で最高額の70万ドルを売り上げた[3][5]。本作の大ヒットを受けてユニヴァーサルは、同年中に『フランケンシュタイン』を製作、本作以上の大ヒットと高評価を得て更に多くのホラー映画(ユニバーサル・モンスターズ)を量産した。
ニューヨーク・タイムズのモルダント・ホールは、トッド・ブラウニングの創造性とヘレン・チャンドラーの演技を称賛し、「多くのミステリー映画の中で最高の作品」と批評した[6]。The Film Dailyは「素晴らしいメロドラマ」と批評し、ベラ・ルゴシの演技を「映画の中で最もユニークで強力な役」と称賛した[7]。
当時49歳であったルゴシはドラキュラ俳優として絶大な名声を得て、怪奇の大スターとなった。原作でのドラキュラは冒頭のトランシルヴァニアのシーンでは人前に現れるが、イギリスに渡ってからはほとんど影のような存在となる。しかし、本作でルゴシの演じたドラキュラは、イギリスに渡って後も夜会服を身に纏い、全編に渡って風格と妖気を見せ付け、貴族的な二枚目であるドラキュラ像を作り上げた。またルゴシのハンガリー訛りはドラキュラの代名詞となった。
- ^ Michael Brunas, John Brunas & Tom Weaver, Universal Horrors: The Studios Classic Films, 1931-46, McFarland, 1990 p11
- ^ a b c d DVD Documentary The Road to Dracula (1999) and audio commentary by David J. Skal, Dracula: The Legacy Collection (2004), Universal Home Entertainment catalog # 24455
- ^ a b Vieira, Mark A. (1999). Sin in Soft Focus: Pre-Code Hollywood. New York: Harry N. Abrams, Inc. p. 42. ISBN 0-8109-4475-8
- ^ Review (2000) by James Berardinelli at ReelViews.net
- ^ Vieira, Mark A. (2003). Hollywood Horror: From Gothic to Cosmic. New York: Harry N. Abrams, Inc.. p. 35. ISBN 0-8109-4535-5
- ^ Hall, Mordaunt (1931年2月13日). “The Screen; Bram Stoker's Human Vampire”. The New York Times (New York: The New York Times Company) 2014年12月7日閲覧。
- ^ “Dracula”. Film Daily (New York: Wid's Films and Film Folk, Inc.): 11. (February 15, 1931).
- ^ 本作の吹き替え映画ではなく、本作と同じ脚本で本作撮影後のセットをその日のうちに再使用しているが、役者や撮影スタッフが異なる作品。
(『ハリウッド・ゴシック』デイヴィッド・J・スカル 著、仁賀克雄 訳、国書刊行会、1997年、ISBN 978-4-336-03924-8、第6章「スペイン語版『魔人ドラキュラ』」。)
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