ユニバーサル社長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/23 01:47 UTC 版)
「カール・レムリ・Jr」の記事における「ユニバーサル社長」の解説
1928年、父からユニバーサル社長の地位を譲られる。レムリ・Jrはトーキー映画の製作に重点を置き、1930年代には『西部戦線異状なし』『魔人ドラキュラ』『フランケンシュタイン』『ミイラ再生』『透明人間』『模倣の人生』『フランケンシュタインの花嫁』などを相次いで製作した。 しかし、こうした高品質映画の製作が相次ぐ一方で興行的には失敗する作品も多く、株主からは批判の声が挙がっていた。ユニバーサルは1935年末には巨額の負債を抱える状態になっており、ジョン・チーヴァー・カウディン(英語版)はレムリ・Jrの解任を要求した。1936年に公開された『ショウボート』は大ヒットを記録したもののユニバーサルの経営難を救うことはできず、レムリ・Jrは父と共にユニバーサルから追われた。
※この「ユニバーサル社長」の解説は、「カール・レムリ・Jr」の解説の一部です。
「ユニバーサル社長」を含む「カール・レムリ・Jr」の記事については、「カール・レムリ・Jr」の概要を参照ください。
- ユニバーサル社長のページへのリンク