高岡御車山祭 安永の曳山車騒動と津幡屋与四兵衛

高岡御車山祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/19 20:45 UTC 版)

安永の曳山車騒動と津幡屋与四兵衛

安永の曳山車騒動は、1775年安永4年)に高岡(御車山)と放生津(新湊)曳山の間でおこった、車輪(曳山車)を巡る騒動で、その後の加賀(主に現在の富山県西部)越中各地の曳山祭りならびに曳山の発展に多大な影響を与えた大事件である。

高岡御車山の7基の山車は、豊臣秀吉が使用した御所車を前田家より拝領し山車へ改造した特別な由緒正しい山車とされるため、高岡側は1762年宝暦12年)近隣の町が御所車と同じような大八車(外車)様式の輻車(やぐるま〔スポーク式〕)の曳山を曳こうとしていたところ、加賀藩に抗議し中止を認められ、それ以降同じ様な山車(曳山車)を曳き回す事は認めない事を取り付けていた。しかし1774年(安永3年)に近郊の町城端今石動〔石動〕が類似した曳山車を製作したため説得し、ともに翌年の春季祭礼の曳山の曳き出しを差し止めた。一方放生津では、この騒動以前より大八車(外車)様式の曳山を保有していたが、1773年(安永2年)に大八車(外車)を高岡に修理に出した際、高岡の曳山総代より「御車山に似た車輪である」として差し押えられたため、役所に請願書を出すなどして曳山祭りの復活に奮闘したが、なかなか許しが出ず曳山が曳けない状態で苛立ちが募っていた。しかしその車輪も返還され、1775年(安永4年)にはなんとか一時的な対処として、車輪に板を張付けて曳き回す事が許可され、同年9月15日に待望の祭礼が執り行われた。

祭の当日、高岡二番町の若頭であった津幡屋与四兵衛とその一行が放生津に検分と称し見物に出掛けたところ、立町の曳山が板を取り付けていなかったため抗議したが、放生津側は「曳き回しの途中で板が外れた。だがそれをもう一度取り付けろとのお達しは受けていない」と主張、与四兵衛側は「板を付けないで曳き廻すことはならぬ。もう一度取り付けろ」、放生津側は「いや、付け直す必要は無い」と争論になり、やがて与四兵衛達一行が鳶口などを振り回すなど騒動を起し、与四兵衛を含め3人が来町中の魚津の役人に捕まり投獄された。

高岡側は抗議し、与四兵衛も投獄後高岡側の主張を繰り返していたが拷問を受け衰弱して獄死した。しかし与四兵衛の死後、1776年(安永5年)2月には高岡側の主張が通り、その後明治の初め頃まで加賀や越中では、他町の曳山は大八車(外車)使用が認められず地車(内車)の曳山のみが認められることになった。そのため現在富山県内に現存する曳山の殆どは大八車(外車)様式の輻車(やぐるま)または板車だが、内車から外車に変更されたのは明治時代になってからであり、各地の曳山は騒動をきっかけに、曳山の塗り(漆工)、彫り物(彫刻)、金具(彫金)など装飾の充実に力を注ぐこととなり、県内には絢爛豪華な曳山が揃う一端ともなった。

この騒動で高岡では、津幡屋与四兵衛は御車山の由緒と威厳を守った安永の義人として、「弥眞進大人命(まごころいやすすめうしのみこと)」と崇められ、関野神社にを作り毎年4月3日に与四兵衛祭を執り行なうとともに、同日にその年の御車山祭の詳細を取り決めており、与四兵衛祭は、2007年(平成19年)に、「とやまの文化財百選(とやまの年中行事百選部門)」に選定されている。また二番町の与四兵衛生家跡には1991年(平成3年)に石碑が建てられ、5月1日の祭礼当日は石碑に供物を供え、すべての山車がその前で止まり詣でる。

なおこの騒動の判決後各町の評論では、「今日も御車山の由緒を守り伝承されてきた事に、先人達に感謝する」とする高岡側と、判決によって大八車(外車)様式の車輪が今後使用できなくなったうえに、取り調べを受け入牢させられた者がいたり、曳山祭り自体がしばらく中止に追い込まれたり、曳山や車輪を没収されたりしたことなどから、放生津や城端、今石動などの騒動に巻き込まれた町では、「歯切れの悪い結果」、「御車山祭が始まった経緯などから、為政者が藩の威厳を守るため勝手な論理を持ち込み、他の曳山の追随を認めたくなかった高岡側を擁護した」と厳しい論評をするなど、判決の評論には大きな相違がみられることとなった。

騒動に対する判決と騒動に巻き込まれた町への影響

判決「高岡と類似した曳山車(大八車〔外車〕様式の輻車)は曳き出してはならぬ。しかし地車であれば許可する。

  • 放生津新湊 - 全町の曳山方の役付、世話人が魚津の盗賊改方への出頭・入牢を命じられ詮議を受けた後釈放された。また全町の曳山が没収されその後返還されたが、中町、立町、三日曽根、法土寺、奈呉町、東町、新町の7町の輻車(板車)は没収された。また暫らくの間曳山祭りは中止に追い込まれた。
  • 城端 - 城端では漆の塗師、大工、町の組合頭など関係者7名が魚津の盗賊改方への出頭・入牢を命じられ詮議を受けた。この際、出丸町の坂上に延命地蔵を建立し7名の無事釈放を祈願した。7名はその後無事釈放されている。なおこの地蔵尊は今も同じ地に建っている。また輻車も没収されたが一部は返還され、現在城端曳山会館に保存展示されている。その後の曳山祭りの実施については、曳山創設から歴史が長い(1719年創設)との理由で許可された。
  • 今石動(石動 - 曳山創設から歴史が短い(1752年創設)との理由で、暫くの間曳山祭りは中止に追い込まれた。

  1. ^ a b 富山新聞』2021年4月30日付16面より。
  2. ^ 指定当時は「重要民俗資料」。1975年(昭和50年)の文化財保護法改正により「重要有形民俗文化財」となる。
  3. ^ 『山・鉾・屋台 無形文化遺産 18府県の祭り33件一括 ユネスコ補助機関勧告 県内から3件』北日本新聞 2016年11月1日1面
  4. ^ 『高岡御車山 魚津たてもん 城端曳山 無形文化遺産に登録、山 鉾 屋台 18府県33件一括 ユネスコ委』北日本新聞 2016年12月2日1面
  5. ^ 『高岡御車山祭 中止 感染対策 伏木けんか山も』北日本新聞 2020年4月4日1面
  6. ^ 『高岡御車山祭中止 2年連続』北日本新聞 2021年1月26日1面
  7. ^ 『北日本新聞』2021年5月2日付22面『高岡御車山祭代替事業 小馬出町の山車巡行 2年ぶり 華やぐ街』より。
  8. ^ 『二上射水神社で築山行事 伝統の神事 厳かに』北日本新聞 2019年4月24日23面
  9. ^ a b 『築山行事取りやめ 二上射水神社 高岡』北日本新聞 2020年4月9日23面
  10. ^ 御車山交流館が開館 高岡・通町』北日本新聞 2009年12月27日
  11. ^ 『伝統の神事 映像で残す 高岡御車山祭 山町の二番町 遷宮の儀 神体移す様子収める』北日本新聞 2022年12月23日20面
  12. ^ 『遷宮の儀 祭神を山車に 高岡御車山祭控え二番町』北日本新聞 2023年5月1日20面
  13. ^ 『市内3ヵ所に高札 御車山祭を告知』北日本新聞 2019年4月2日21面
  14. ^ 『御車山祭へ高札 奉曳は中止』北日本新聞 2021年4月2日21面
  15. ^ 『走り切り感動共有 伝統芸能花を添え 絢爛豪華な山車登場 高岡山町筋』北日本新聞 2015年11月2日40面
  16. ^ 『"技術の粋御車山紹介" 高岡で全国工芸品フェスタ 半世紀ぶりに町外展示』北日本新聞 2015年11月4日22面
  17. ^ 『高岡御車山会館 保存会合意14年度完成へ』北日本新聞 2011年7月2日1面
  18. ^ 『豪華な山車通年展示へ 高岡御車山会館 工事安全祈願祭』北日本新聞 2011年10月8日19面
  19. ^ 『高岡御車山会館オープン 400年の伝統文化通年発信』北日本新聞 2015年4月26日1面
  20. ^ 『平成の御車山「本座」は利長と永姫 高岡デザインの方向決定』北日本新聞 2012年4月19日1面
  21. ^ “平成の御車山、来月30日お披露目 高岡の伝統工芸集約”. 北國新聞. (2018年3月27日). http://www.hokkoku.co.jp/subpage/TO20180327511.htm 2018年5月5日閲覧。 
  22. ^ “平成の御車山完成 輝く装飾美しく”. 毎日新聞. (2018年5月1日). https://mainichi.jp/articles/20180501/ddl/k16/040/162000c 2018年5月5日閲覧。 
  23. ^ a b 『平成の御車山お披露目 高岡』北日本新聞 2018年5月1日1面
  24. ^ 北日本新聞 2014年8月2日30面
  25. ^ 『黄金の鳳凰お披露目 平成の御車山制作実行委員会 2100枚の金箔施す』北日本新聞 2015年3月28日33面
  26. ^ 『井波彫刻でからくり人形 高岡・平成の御車山に載せます』北日本新聞 2015年8月7日28面
  27. ^ 『高岡と井波の技光る 17年度末完成平成の御車山 きょうから高岡御車山会館 高欄・後屛・標旗を展示』北日本新聞 2016年3月30日20面
  28. ^ 『路面電車EX 2013 vol.02』(イカロス出版2013年(平成25年)11月20日発行 88P
  29. ^ “高岡の華、御車山巡行 無電柱化ですっきりの山町筋に7基”. 北國新聞. (2012年5月2日). オリジナルの2012年5月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120502010834/www.hokkoku.co.jp/subpage/T20120502201.htm/ 2013年7月8日閲覧。 
  30. ^ [1][リンク切れ] 北國新聞web 2012年1月26日
  31. ^ [2][リンク切れ] 北日本新聞webun 2011年9月27日


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