阿毘達磨倶舎論 内容

阿毘達磨倶舎論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/01 03:06 UTC 版)

内容

因果関係の法則

多様に複雑な因果関係をなしている諸法を、因である点から六因四縁に、果である点から五果に分類する(分別根本第二)。[35]

六因説

この六因説[注 7]は経典に明確な文言を用いて説示されている説ではない。恐らくは有部アビダルマにおいて構築された説である[注 8]。六因説の初出については『発智論』[大正蔵26巻920c]であると指摘されている[37]

  • 能作因(のうさいん、: kāraṇahetu, : byed-rgyu) – ある存在(、ダルマという)が生起するとき少なくともその妨げをしないという点で、他のすべての存在がその存在に対して原因としてのはたらきをもつこと[38][注 9]。芽に対する種のような結びつきの強い原因はもちろん能作因であるが、月が存在することに対してスッポンは何の妨げも為さないことから月にとってスッポンは能作因である。
  • 倶有因(くういん、: sahabhūhetu, : lhan-cig 'byung-ba'i rgyu) – 因・果が同時に生じ、相互に因となり果となるという同様な関係を持つときの因のこと[39][注 10]。たとえば二枚のトランプをお互いよりかからせて立たせた時に、お互いがお互いの倶有因であり士用果である。
  • 同類因(どうるいいん、: sabhāgahetu, : skal-mnyam-gyi rgyu) – 現在の瞬間と同類の現象が後に果として生じる時の原因のこと。因が善ならば果も善、悪ならば悪、無記ならば無記と、その性質をともにしなくてはならない[39][注 11]。例えば、忍耐をしているある瞬間は、忍耐をしている次の瞬間の同類因となる。
  • 相応因(そうおういん、: saṃprayuktahetu, : mtshungs-ldan-gyi rgyu) – 倶有因の一種で、心と心作用との間の関係についてのみ用いる。[40][注 12]
  • 遍行因(へんぎょういん、: sarvatragahetu, : kun 'gro'i rgyu) – 同類因の特別な場合で、11種の遍行[注 13] およびそれと相伴う諸 のこと[38][注 14]。好ましくない感情や態度が、後の瞬間の好ましくない感情や態度を作り出す時の原因にあたるもの。
  • 異熟因(いじゅくいん、: vipākahetu, : rnam-smin-gyi rgyu) - 諸々の善・悪といった、(煩悩に関連する)業のこと[40][注 15]。相互に時を隔てた異時点間の因果関係から、楽・苦などの果をもたらす。この果(異熟果)は、善でも悪でもない(「無記」である)ことから、異熟と呼ばれる[41][注 16]

四縁

因果関係の因について、上記の「六因」とは異なる分類のしかたをしたもの[39][42]

  • 因縁(いんねん、: hetupratyaya: rgyu-rkyen) - 六因のうち、能作因を除く五因(倶有因・同類因・相応因・遍行因・異熟因)をまとめたもの。[43]
  • 等無間縁(とうむけんねん、: samanantarapratyaya: de ma thag rkyen) - 先の瞬間において生起していた心およびそれと相伴う心作用(前念)が過去に過ぎ去り、直後の瞬間に別の心・心作用(後念)が未来から生起し継承する(心相続)という因果関係の因。因と果が必ずしも同類でないことから同類因と区別される[44]。前念と後念が無間(時間的な隔たりがない)であるときの前念をさして、等無間縁という[45] 。次第縁ともいう[46]。六因のなかでは能作因以外の五因のどれにもあたらないから、最も包括的な能作因に入れるほかはないが、能作因の示す弱い因果関係とは異なったものであるため、有力能作因と呼んで区別することもある[47]
  • 所縁縁(しょえんねん、: ālambanapratyaya: dmigs-rkyen) - 心・心作用の対象(所縁[48]のことを所縁縁という。(説一切有部では対象のない心はありえないため)心・心作用は所縁がなければ生じないことから、因としては所縁縁となる(果としては、心・心作用そのものが増上果となる)。有力能作因に数えられる。[49]。縁縁ともいう[50] 。例えば「青」い物体は、それが「青」という特性を持っているという眼識を引き起こす。
  • 増上縁(ぞうじょうえん、: adhipatipratyaya: bdag-rkyen)- 最も広義の縁で、ひろく能作因に相当する[51]。もの・心一般に広く通じる原因であって、結果を望むことができるような縁となるものを総称したもの[52]。他の物事が生ずることを助ける働きをする縁[53]

五果

  • 増上果(ぞうじょうか、: adhipatiphala: dag po'i 'bras bu) - 六因のうち能作因に、四縁のうち増上縁・等無間縁・所縁縁に対応する果。増上は「力を及ぼすもの」の意[35]
  • 士用果(じゆうか、: puruṣakāraphala: skyes bu byed-pa'i 'bras-bu) - 六因のうち倶有因・相応因に対応する果(四縁のうち因縁の一部に対応)。因と果が時を同じくする関係になっている[38]。士用は「男子の動作」の意で、因の力の強いのをそう例えたもの[54]
  • 等流果(とうるか、: nisyandaphala: rgyu-mthun gyi 'bras-bu) - 六因のうち同類因・遍行因に対応する果(四縁のうち因縁の一部に対応)。等流果は多くの場合自らまた同類因となって次の等流果を生ぜしめ、そこに因果の連鎖が続く[38]。等流とは、因から「流れ出る」の意[55]
  • 異熟果(いじゅくか、: vipākaphala: rnam smin gyi 'bras-bu) - 六因のうち異熟因に対応する果(四縁のうち因縁の一部に対応)。異熟果は善でも悪でもない「無記」であり、異熟果自体が自ら異熟因となって再び異熟果を生じそこに因果の連鎖をなすことはない[38]
  • 離繫果(りけか、: visaṃyogaphala: bral 'bras) - 煩悩の止滅(すなわち涅槃)のこと。三世実有の立場では、煩悩はその作用(kāritra)を失うことによって過去の位相(avasthā)に落謝し、滅び去っていく[56][57]。涅槃は、煩悩の拘束から離れる・解放される(離繫りけ)ことであり、正しい知恵の結果であることから果のひとつと位置づけられる[58]。有部によれば、離繫果の因は能作因であるが、世親はこれを批判している[59]

注釈

  1. ^ 単に『アビダルマ・コーシャ』(: Abhidharma-kośa)と呼称することも。
  2. ^ 漢訳本の正式な表記(旧字体表記)は「舎」字ではなく「舍」字である。
  3. ^ 玄奘による『ジュニャーナプラスターナ』の漢訳は、迦多衍尼子造 玄奘譯 『阿毘達磨發智論』(『大正藏』毘曇部 Vol. 26 No.1544)
  4. ^ 玄奘による『マハー・ヴィバーシャ』の漢訳は、五百大阿羅漢造 玄奘譯 『阿毘達磨大毘婆沙論』(『大正藏』毘曇部 Vol. 27 No.1545)
  5. ^ 厖大な内容 - 玄奘訳『阿毘達磨大毘婆沙論』は全200巻。
  6. ^ この点については江戸時代の学僧である林常快道 (1751-1810) が『阿毘逹磨倶舎論法義』において既に指摘している点である。Cf.『望月仏教辞典』p. 52
  7. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0030a12 - 13「論曰。因有六種。一能作因。二倶有因。三同類因。四相應因。五遍行因。六異熟因。」(T1558以下の数字は本記事「外部リンク」掲載の大正大蔵経データベースでの行番号:以下同)
  8. ^ この点については称友釈において詳説される[36]
  9. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0030a17 - 19「一切有爲唯除自體以一切法爲能作因。由彼生時無障住故。雖餘因性亦能作因。」
  10. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0030b15 - 17「第二倶有因相云何。頌曰 倶有互爲果 如大相所相 心於心隨轉」(注:「大」とは四大種(四元素:地、水、火、風)のこと(分別界品第一T1558_.29.0003a28)。「相」とは有為法の四相(生、住、異、滅:分別根品第二之三 T1558_.29.0027a13)のこと。「所相」とは相をもつ本法のこと。心隨轉とは、心所(下記「相応因」の注参照)のこと。
  11. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0031a18 - 24「第三同類因相云何。頌曰 同類因相似 自部地前生 道展轉九地 唯等勝爲果 加行生亦然 聞思所成等 論曰。同類因者。謂相似法與相似法爲同類因。」
  12. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0032b24 - 26「第四相應因相云何。頌曰 相應因決定 心心所同依 論曰。唯心心所是相應因。」「心(しん)」はものに対するこころ自体のこと。五位(色、心、心所、心不相応行、無為)のひとつ(分別根品第二之二 T1558_.29.0018b17 - 18)。「心所(しんじょ)」は心の作用のこと。倶舎論では46種類に分類される(大地法10種、大善地法10種、大不善地法2種、大煩悩地法6種、小煩悩地法10種、不定法8種:分別根品第二之二 T1558_.29.0019a08 - )。
  13. ^ 見苦所断の五見(有身見、辺執見、邪見、見取、戒禁取)、疑、無明、および見集所断の邪見、見取、疑、無明。
  14. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0032c13 - 16「第五遍行因相云何。頌曰 遍行謂前遍 爲同地染因。」
  15. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0033a03 - 05「第六異熟因相云何。頌曰 異熟因不善 及善唯有漏 論曰。唯諸不善及善有漏是異熟因。」
  16. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0033a06 - 11

出典

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  2. ^ 日本大百科全書』(コトバンク)
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  4. ^ 婆藪盤豆造 眞諦譯 『阿毘達磨倶舍釋論』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1559)
  5. ^ 世親造 玄奘譯 『阿毘達磨倶舍論』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1558)
  6. ^ a b c d 『岩波仏教辞典』P.250「『倶舎論』」
  7. ^ 櫻部・上山 2006, p. 20.
  8. ^ 小原仁 『源信』P.72 第三章 学窓の日々「倶舎をきわめる」
  9. ^ 『望月仏教辞典』p. 52, 『大蔵経全解説大辞典』 p. 428
  10. ^ 世親菩薩造 三藏法師玄奘奉詔譯 『阿毘達磨倶舍論本頌』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1560)
  11. ^ 桜部建『倶舎論の研究 界・根品』(法蔵館、1969年
  12. ^ a b 櫻部 2002, p. 9.
  13. ^ 世界大百科事典『アビダルマコーシャ』 - コトバンク
  14. ^ 櫻部・上山 2006, p. 262.
  15. ^ 櫻部・上山 2006, p. 19-20.
  16. ^ 三枝充悳 『世親』P.157「著作の概観」
  17. ^ 木村誠司[2013]「『倶舎論』にまつわる噂の真相」『駒沢大学仏教学部研究紀要』 (71), 242-224
  18. ^ 三友 2005, pp. 627–629.
  19. ^ 袴谷 1986, pp. 864–859.
  20. ^ 松田 1985, pp. 752–750.
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  22. ^ 兵藤 一夫[2002]「経量部師としてのヤショーミトラ」, 『初期仏教からアビダルマへ:桜部建博士喜寿記念論集』.2002-05-20, 315-336
  23. ^ 「仏典は書き換えられるのか? : 『大毘婆沙論』における「有別意趣」の考察を通して」、印度學佛教學研究 63(3), p.1287, 2015-03-25
  24. ^ a b 三枝充悳 『世親』P.91 II-1『倶舎論』における思想「概説」
  25. ^ 田中教照[1976]「修行道論より見た阿毘達磨論書の新古について」, 仏教研究 通号 5, 1976-03-31, 41-54
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  27. ^ 櫻部 2002, pp. 14–18.
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  50. ^ 船橋水哉「倶舎論概説」(東方書院 1934年) P34
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  54. ^ 櫻部・上山 2006, p. 310.
  55. ^ 櫻部・上山 2006, p. 78.
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  63. ^ 櫻部 2002, pp. 39–40.





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