胡亥とは? わかりやすく解説

胡亥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 06:21 UTC 版)

胡亥(こがい、拼音: Húhài)は、秦朝の第2代皇帝。帝号は二世皇帝。現代中国語では秦二世とも称される。(えい)、(ちょう)。始皇帝の末子[1][2][3]


  1. ^ 以下、特に注釈がない部分は、『史記』秦始皇本紀・六国年表第三・秦楚之際月表第四による。
  2. ^ 年号は『史記』六国年表第三・秦楚之際月表第四による。西暦でも表しているが、この時の暦は10月を年の初めにしているため、注意を要する。まだ、秦代では正月を端月とする。
  3. ^ 胡亥らに関する史記の記述が本紀・列伝・表など記述箇所が違う場合、大きく異なることがあるが、鶴間和幸は「このような矛盾は『史記』の記述ではよくあることだ。由来の異なる伝承をそのまま別個にとりあげているので、無理して矛盾を解消しない方がよい」と述べている。鶴間和幸『始皇帝陵と兵馬俑』126頁
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『史記』李斯列伝
  5. ^ 『史記』陳渉世家を注釈する『史記索隠』による。
  6. ^ 『史記』蒙恬列伝
  7. ^ a b 『史記』六国年表第三による。『史記』始皇本紀では、胡亥の兄の子、『史記』李斯列伝は、始皇帝の弟とする。
  8. ^ 『史記』劉敬叔孫通列伝
  9. ^ 『史記』始皇本紀では、二世二年(紀元前208年)冬とするが、ここでは『史記』秦楚之際月表による。
  10. ^ 『史記』始皇本紀では、二世二年(紀元前208年)9月(『史記』秦楚之際月表第四より)の項梁の死後の事件とするが、『史記』秦楚之際月表第四では同年8月頃(『史記』李斯列伝では同年7月以前)とする李由の生前の事件にあたる。そのため、『史記』始皇本紀の陳勝・魏咎の死後とする記述にのっとり、ここに記載する。
  11. ^ a b c 『史記』項羽本紀
  12. ^ 『史記』六国年表第三では、二世二年(紀元前208年)の出来事として、『将軍章邯、長史司馬欣、都尉董翳追楚兵至河』とする事件の次に、『誅丞相斯、去疾、将軍馮劫』という事件の記載させている。前者については、『史記』秦楚之際月表第四において、同年9月とする章邯らが項梁を破り、戦死させた事件のこととみなし、李斯ら刑死をその後に記述する。
  13. ^ 漢代においては、黥(いれずみ)・劓(鼻削ぎ)・宮(腐刑)・刖(足切り)・殺(死刑)とする。『漢書』刑法志
  14. ^ 李斯の刑死は、『史記』李斯列伝では、二世二年(紀元前208年)7月の事件とするが、『史記』秦楚之際月表第四では同年8月に李由は戦死しており、『史記』李斯列伝ではその後の事件とする。また、『史記』六国年表第三では、二世二年(紀元前208年)の事件とするが、『史記』始皇本紀では、二世三年(紀元前207年)の早くても11月の項羽による鉅鹿救援後の冬(10~12月)に李斯が刑死されたとする。
  15. ^ 『史記』張耳陳余列伝では、王離が鉅鹿を包囲したのは、章邯が趙の邯鄲を破り、住民を河内に移住させる後になるが、同じく『史記』張耳陳余列伝によると、王離は数か月に渡り、鉅鹿を攻めているため、仮にここにいれる。
  16. ^ 『史記』王翦白起列伝。
  17. ^ 『史記』高祖本紀。
  18. ^ 『史記』始皇本紀を注釈する『史記集解』による。
  19. ^ 『史記』滑稽列伝。
  20. ^ 工藤卓司『北京大学蔵西漢竹書『趙正書』における「秦」叙述』190-196頁
  21. ^ 『史記』始皇本紀に附された班固が後漢の明帝に奉じた文に記載。
  22. ^ 工藤卓司『北京大学蔵西漢竹書『趙正書』における「秦」叙述』196頁
  23. ^ 鶴間和幸『人間・始皇帝』211・212頁
  24. ^ 鶴間和幸『人間・始皇帝』201・202頁、211頁
  25. ^ 藤田勝久『項羽と劉邦の時代』第三章


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