竹阿弥
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参考文献
- 谷口克広『信長・秀吉と家臣たち』学研パブリッシング、2011年。ISBN 9784054050211。
- 小和田哲男「放浪する秀吉」『豊臣秀吉』〈中公新書〉1985年。ISBN 4121007840。
- 小瀬甫庵「国立国会図書館デジタルコレクション 甫庵太閤記」『史籍集覧. 第6冊』近藤出版部、1919年 。
- 法橋玉山『国立国会図書館デジタルコレクション 絵本太閤記』 1巻、国書刊行会、1917年 。
- 渡辺世祐「国立国会図書館デジタルコレクション 第一章 太閤の素生」『豊太閤と其家族』日本学術普及会〈歴史講座〉、1919年、11-34頁 。
- ^ 『諸系譜 第2冊』による。
- ^ 『日本家紋研究会』の高澤等は『太閤素生記』を参照にして、秀吉一族が用いる沢瀉紋と秀吉の通称「藤吉郎」、また姉日秀、妹朝日の夫の出身地などの関係から、織田信秀の同朋衆あるいは水野氏説のある継父・竹阿弥を含め、秀吉自身も水野氏族を意識していたのではないかとの推測の説を『歴史読本』に寄稿[要追加記述]しているが、真偽の程は不明である。一説に竹阿弥は水野昌盛と言い、父は水野藤次郎為春、祖父は水野為信、曾祖父は大高城城主の水野甚五右衛門為善で為善は尾張・三河の水野氏の家祖・水野貞守の弟とする。[要出典]
- ^ 現在の名古屋市中村区。
- ^ 小和田 1985, p. 36.
- ^ a b 小和田 1985, pp. 66–67.
- ^ 今の愛知県知多郡武豊町にある。
- ^ 渡辺 1919, p. 11.
- ^ 名古屋市の郷土史研究家・藤川清はこの『尾州志略』の伝承に従って、秀吉の実父は蓮華寺十二世珪秀であるとの説を唱えている。
- ^ 滝沢解 遺草「国立国会図書館デジタルコレクション 平豊小説弁」『曲亭雑記. 第1 上』渥美正幹、1889年 。
- ^ a b 小瀬 1919, p. 18
- ^ a b 渡辺 1919, p. 27
- ^ 小和田 1985, p. 70.
- ^ この光明寺がどの寺であったのかは史学的には不明である[12]が、一般的には、愛知県海部郡甚目寺町にある横笛山光明寺に見立てられている。
- ^ 小瀬 1919, pp. 19–20.
- ^ 法橋 1917, p. 3.
- ^ 豊臣秀吉公治世諸侯分限帳・太閤素生記
- ^ 栗原柳庵『国立国会図書館デジタルコレクション 真書太閤記』 巻之1、博文館〈帝国文庫 ; 第1-4編〉、1909年 。
- ^ 没年不明のため、1996年に放送されたNHK大河ドラマ『秀吉』のように、秀吉の晩年まで登場させるドラマもある。
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