環状集落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/04 03:49 UTC 版)
双環状集落
環状集落には、ほぼ同時代に2つの環状集落が隣接ないし近接した位置に形成されたり、中期→後期など時期を異にしつつも隣接または近接して形成されたりして、両集落遺跡が「8」の字状に検出される事例があり、双環状集落(そうかんじょうしゅうらく)と呼ばれている。東京都西東京市の下野谷遺跡や[12]、千葉市若葉区加曽利貝塚、神奈川県横浜市都筑区の三の丸遺跡・神隠丸山遺跡等が知られている[13]。
貝塚形成との関係
環状集落内の、廃絶した竪穴建物跡などに貝殻や土器などが捨てられ(集積され)続けることで「廃棄帯」が生じ、これらが膨大な量で堆積して貝層を形成したものが貝塚である。これら廃棄帯には、墓群や建物(住居)群が持つものと同じように「分節構造」が形成される[14]。現在発見される貝塚が、環状のほか、馬蹄形や「い」の字形となる例があるのは、これによるもので、加曽利貝塚などはその典型とされる[15]。
環状列石との関係
秋田県鹿角市の大湯環状列石や北秋田市の伊勢堂岱遺跡などに代表される、縄文時代後期のいわゆる環状列石(ストーンサークル)も、発掘調査により中心域の石組遺構下に墓群があり、その周囲に竪穴建物群や掘立柱建物群が環状に存在することから[16]、中期の環状集落を起源として、墓域に石のモニュメントが造られるようになって次第に発達し、周囲の建物群の規模が縮小することで祭祀の場として独立し、成立したと考えられている[17]。谷口康浩は、縄文中期段階では環状集落構造の一部であった中央広場の集団墓が、後期以降、列石という視覚的な誇張を伴って巨大な祭祀モニュメントとして拡大していった背景に、大規模な土木工事や祭祀挙行、およびそれを運営する「指導力」ないし「威信」の存在を想定し、社会階層化を伴う縄文時代社会の構造変化があったのではないかと指摘している[18]。
各地の環状集落
この節の加筆が望まれています。 |
- 西海渕遺跡(さいかいぶちいせき)- 山形県村山市[19]。
- 西田遺跡(にしだいせき)- 岩手県紫波郡紫波町[20]。
- 水子貝塚(みずこかいづか)-埼玉県富士見市[21][22]。
- 行司免遺跡(ぎょうじめんいせき)-埼玉県比企郡嵐山町[23][24]。
- 堀之内貝塚(ほりのうちかいづか)- 千葉県市川市[25]
- 姥山貝塚(うばやまかいづか)- 千葉県市川市[26]。
- 曽谷貝塚(そやかいづか)- 千葉県市川市[27]。
- 加曾利貝塚(かそりかいづか)- 千葉県千葉市若葉区[28]。
- 三の丸遺跡(さんのまるいせき)-神奈川県横浜市都筑区[29]。
- 小丸遺跡(こまるいせき)- 神奈川県横浜市都筑区[30]。
- 北川貝塚(きたがわかいづか)-神奈川県横浜市都筑区[31]。
- 神隠丸山遺跡(かみかくしまるやまいせき)- 神奈川県横浜市都筑区[32]。
- 南堀貝塚(なんぼりかいづか/みなんぼりかいづか)- 神奈川県横浜市都筑区[33]。
- 泉警察遺跡(いずみけいさついせき)-神奈川県横浜市泉区[34]。
- ^ 谷口 2005, pp. 9–11.
- ^ a b c d 谷口 2005, p. 36.
- ^ 水子貝塚資料館 2019年 p.4
- ^ 松田 2009年 p.48
- ^ 石井 1994, pp. 77–110.
- ^ 谷口 2005, pp. 10–11.
- ^ 谷口 2005, pp. 118–122.
- ^ 谷口 2005, pp. 60–71.
- ^ 谷口 2005年 p.97-98
- ^ a b 谷口 2005, p. 67.
- ^ 谷口 2005, pp. 89–110.
- ^ “下野谷遺跡”. 西東京市 (2016年12月6日). 2018年8月14日閲覧。
- ^ 髙梨 2019, pp. 4–5.
- ^ 谷口 2005, pp. 67–68.
- ^ 中村 2009年 p.49
- ^ 大湯環状列石とは(北秋田市)
- ^ 松木 2007, pp. 122–130.
- ^ 谷口 2005, pp. 263–267.
- ^ 阿部, 明彦、黒坂, 雅人、黒坂, 広美、真壁, 健 『西海渕遺跡第1次発掘調査報告書』 164巻山形市松波二丁目8-1〈山形県埋蔵文化財調査報告書〉、1991年3月20日 (原著1991年3月20日)。doi:10.24484/sitereports.18373。 NCID AN00153712 。
- ^ 岩手県教育委員会文化課 『東北新幹線関係埋蔵文化財調査報告書VII』 51巻岩手県盛岡市内丸10-1〈岩手県文化財調査報告書〉、1980年3月31日 (原著1980年3月31日)。doi:10.24484/sitereports.52801。 NCID BN02687589 。
- ^ 水子貝塚資料館 2019年
- ^ 国指定史跡水子貝塚について(富士見市)
- ^ 植木, 弘 『町内遺跡1』 4巻埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷445-1〈嵐山町埋蔵文化財調査報告〉、1991年3月25日 (原著1991年3月25日)。 NCID BA8651952X 。
- ^ 花開く縄文文化(嵐山町Web博物誌)
- ^ 堀之内貝塚(市川市)
- ^ 姥山貝塚(市川市)
- ^ 曽谷貝塚(市川市)
- ^ 加曾利貝塚(千葉市)
- ^ 倉沢, 和子 『三の丸遺跡調査概報』 6巻神奈川県横浜市栄区野七里二丁目3番1号〈港北ニュータウン地域内埋蔵文化財調査報告〉、1985年3月31日 (原著1985年3月31日)。 NCID BN06931943 。
- ^ 横浜市歴史博物館 2008.
- ^ 坂本, 彰、山田, 光洋、水澤, 裕子、中村, 若枝、澤田, 純明、星野, 敬吾、平田, 和明、伊藤, 薫 『北川貝塚』 39巻神奈川県横浜市都筑区勝田町760〈港北ニュータウン地域内埋蔵文化財調査報告〉、2007年3月31日 (原著2007年3月31日)。 NCID BA81816390 。
- ^ 平山, 尚言、平野, 卓治 『神隠丸山遺跡』 52巻神奈川県横浜市栄区野七里二丁目3番1号〈港北ニュータウン地域内埋蔵文化財調査報告〉、2020年3月31日 (原著2020年3月31日) 。
- ^ 武井, 則道、高橋, 憲太郎、熊谷, 賢 『南堀貝塚』 40巻神奈川県横浜市栄区野七里2−3−1〈港北ニュータウン地域内埋蔵文化財調査報告〉、2008年3月31日 (原著2008年3月31日)。 NCID BA85953994 。
- ^ 横浜市埋蔵文化財センター 2013年
環状集落と同じ種類の言葉
- 環状集落のページへのリンク