溝口神社 概要

溝口神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 02:32 UTC 版)

概要

創建年代は不明。江戸時代神仏習合のお社として、矢倉沢往還大山道)の溝口宿近在の村々の総鎮守として赤城社と称した。当時は毘沙門天と弁財天を祀っていた[3]

創建時より、毘沙門天弁財天の男女二神を神体として安置をしてきた。明治初年の神仏分離令に従って神像を裏の宗隆寺に移し、溝口村、高津村下宿中宿片町、六間町、六番組を統合し伊勢皇神宮より御分霊を奉迎し、御祭神を改め溝口神社と名称を改めた[1][2]

歴史

主な歴史は以下のとおりである[4]

  • 1783年天明3年)2月溝口村鎮守赤城社が再建された。
  • 1841年天保12年)春に赤城社の社殿が傷んだことから再建工事が開始された。
  • 1842年(天保13年)8月15日までに再建工事完成した。
  • 1848年寛永元年)8月15日までに拝殿向拝や参道の敷石が完成した。
  • 1852年(寛永5年)2月に赤城社境内の稲荷社が再建された。
  • 1854年(寛永7年)10月4日(現11月23日)の大地震で赤城社の鳥居が倒れた。
  • 1923年大正12年)9月1日の関東大震災により社殿は全壊した[2][5]
  • 1934年昭和9年)11月に氏子達により再建された[2][5]

境内

  • 境内社[1]
    • 稲荷社
    • 大鷲神社
    • 松尾大神
    • 水神宮 - 石祠には「安政三年」の銘がある[2]

文化財

  • 勝海舟の大幟一対 [1]
  • 社号額一面 東郷平八郎書 [1]

  1. ^ a b c d e f g h 神奈川県神社庁 編『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁、1982年。 
  2. ^ a b c d e f g 神奈川県神社庁 編『かながわの神社・ガイドブック -こころの散歩道-』かなしん出版、1997年。ISBN 4-87645-222-9 
  3. ^ 『新編武蔵風土記稿 橘樹郡巻四』。 
  4. ^ 上田恒三『百姓達の明治維新 激流』株式会社友興企画、1999年9月15日。 
  5. ^ a b ふるさと展記念誌編集委員会 編『ふるさと展 - 高津に埋もれた文化財 高津区民祭関連事業第14回』川崎 高津青年会議、1988年。 


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