沼垂 (新潟市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/07 09:55 UTC 版)
歴史
沼垂の地名は古く、日本書紀の記述によれば647年(大化3年)に造られたとされる渟足柵に遡ることができる。「渟足柵」の表記はやがて「沼垂城」へと変化し、現在の地名となった。
当時の渟足柵がどこにあったのかは未だ明らかではないが、かつて現在の通船川を本流とし、現在の信濃川河口付近に河口が存在していた阿賀野川右岸の砂丘地帯であろうと推定されている。
やがて港町として栄えるようになり、南北朝時代の文献に「沼垂湊」と呼ばれたことが記録されている。
近世
1631年(寛永8年)の洪水をきっかけに信濃川が次第に阿賀野川と合流するようになると、阿賀野川右岸は激しく侵食されるようになり、沼垂町は数度の移転を余儀なくされた。栗ノ木川流域にあたる現在の地へ町が移転したのは、1684年(貞享元年)のことである。当時は、対岸の新潟町同様、堀の多い町だった。
阿賀野川河口の沼垂町と信濃川河口の新潟町は、合流した河口の利権をめぐり度々争ったが、1727年(享保12年)沼垂町は訴訟に敗れ、新潟町が河口の利権を独占するようになった。
さらに1731年(享保16年)、新発田藩が排水のために掘削した松ヶ崎掘割が決壊し、阿賀野川本流となった。今度は阿賀野川からの水量の激減により水深が浅くなり、港としての機能が著しく低下した。
これらにより、港町としての沼垂町は次第に衰微し、新潟町との反目は永く残った。
近代
1914年(大正3年)4月1日に新潟市と編入合併し、新潟市の大字となる[39]。
現代
沼垂駅は1958年(昭和33年)、新潟駅の移転及び線形改良に伴う路線の変更によって貨物駅となった後、2010年(平成22年)に廃止された。
- ^ “住民基本台帳人口 (全市・区役所・町名別) - 町名別住民基本台帳人口”. 新潟市 (2018年2月13日). 2018年3月5日閲覧。
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- ^ “『町廃止及市区域変更』官報. 1914年03月13日 - 国立国会図書館デジタルコレクション” (日本語). dl.ndl.go.jp. 2022年2月28日閲覧。
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