武蔵野鉄道デハ320形電車 武蔵野鉄道デハ320形電車の概要

武蔵野鉄道デハ320形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/12 05:21 UTC 版)

武蔵野鉄道デハ320形電車
デハ1320形電車
蒲原鉄道モハ71
(元武蔵野鉄道デハ1322・1997年8月)
基本情報
製造所 川崎造船所日本車輌製造東京支店
主要諸元
軌間 1,067(狭軌) mm
電気方式 直流1,200V(架空電車線方式
車両定員 112人(座席44人)
車両重量 デハ320形:30.5 t
デハ1320形:31.3 t
全長 デハ320形:16,820 mm
デハ1320形:16,930 mm
全幅 デハ320形:2,740 mm
デハ1320形:2,715 mm
全高 デハ320形:4,248 mm
デハ1320形:4,114 mm
車体 半鋼製
台車 DT10・TR11
主電動機 直流直巻電動機 GE-244 / SE-102
主電動機出力 105HP (85kW)
搭載数 4基 / 両
端子電圧 675V
駆動方式 吊り掛け駆動
制御装置 電空カム軸式抵抗制御 RPC-101
制動装置 自動空気ブレーキ AVR
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本項では、同形式の制御車サハ325形電車、およびデハ320形・サハ325形の増備形式と位置付けられる[2]デハ1320形電車サハ2320形電車サハニ3323形電車の各形式についても併せて記述する。

概要

武蔵野鉄道は1925年(大正14年)に本線(現・西武池袋線池袋 - 飯能間の全線電化を完成させたが[3]、同時期に急増した利用客への対応[3]、ならびに本線練馬駅より分岐して豊島駅(現・豊島園駅)に至る豊島線の開業を控え[3]、更なる車両増備の必要に迫られていた[3]。そのような状況下で1926年(大正15年)10月に制御電動車デハ320形321・322および制御車サハ325形326・327の4両が川崎造船所で新製された[1]。同4両は武蔵野鉄道においては初となる[4]、構体主要部分を普通鋼製とした半鋼製車体を採用した点が最大の特徴であった[4]

1927年昭和2年)3月[4]には、制御電動車デハ1320形1321 - 1323、制御車サハ2320形2321・2322および荷物合造制御車サハニ3323形3323の計6両が増備された[4]。同6両は日本車輌製造東京支店で新製され[5]、主要機器の仕様は同一であったものの、製造メーカーの相違による外観上の差異を有した[5]

導入後は制御車各形式の電動車化などが施工され、第二次世界大戦終戦後の武蔵野鉄道と(旧)西武鉄道の合併に伴う(現)西武鉄道成立[注釈 1]後、1948年(昭和23年)6月[6]に在籍する全車両を対象に実施された一斉改番に際しては、モハ211形211 - 214およびモハ221形(初代)221 - 226と改番・再編された[6]。さらにモハ221形(初代)はモハ211形へ編入されたのち[4]1958年(昭和33年)に全車とも電装解除されてクハ1211形1211 - 1216と改称・改番され[4]、モハ211形・クハ1211形は1965年(昭和40年)まで在籍した[7]

車体

デハ320形・サハ325形およびデハ1320形・サハ2320形・サハニ3323形の各形式とも、全長17m級の半鋼製3扉構造の車体を採用する[1][5]。いずれもリベットによる組立工法の多用・腰板部が広く取られた腰高な窓位置・深い屋根部の形状といった、鉄道車両の構体が木造から鋼製に切り替わる過渡期において製造された車両固有の特徴を備える[8]。運転台構造はいずれも全室式であり[1]、武蔵野鉄道に在籍する車両の標準仕様に則り、運転台は右側に設置された[1]

デハ320形・サハ325形は、妻面を緩い折妻とし、前面に貫通扉を設置した貫通構造が採用された[1]。両形式とも両側妻面に運転台を備える両運転台仕様であるが、側面窓配置はデハ320形がdD7D7Dd(d:乗務員扉、D:客用扉)と乗務員扉を有したのに対し[1]、サハ325形は1D7D7D1と乗務員扉が省略された点が異なる[4]

デハ1320形・サハ2320形・サハニ3323形は前面に貫通扉を設置した貫通構造は同一ながら、妻面が緩い円弧を描く丸妻形状に変更された[7]。その他、妻面雨樋がデハ320形・サハ325形の直線形状に対して曲線形状に改められ[4]、荷物合造車であるサハニ3323形を除いて客用扉間の側窓がデハ320形・サハ325形の7枚に対して6枚に変更されるなど[4]、各部に設計変更が加えられた。側面窓配置はデハ1320形・サハ2320形がdD6D6Dd、サハニ3323形がdD6D4B1d(B:荷物用扉)で、いずれも当初より乗務員扉が設置された[4]


注釈

  1. ^ a b 合併当初の社名は「西武農業鉄道」。1946年(昭和21年)11月15日付で現社名へ改称。
  2. ^ RPC-101制御装置・GE-244 (SE-102) 主電動機とも、当時の鉄道省における制式機器として採用された機種であり、鉄道省によって前者はCS1、後者はMT4という独自の型番が付与されていた。
  3. ^ 大型化改造はあくまでも書類上の扱いに過ぎず、モハ505 - 508の新製に際してモハ211 - 214より流用されたものは何もない。現車は事実上廃車となったのち、翌1960年(昭和35年)2月にいずれも近江鉄道へ譲渡された。
  4. ^ a b c d モハ7・8もしくはクハ1205・1206のいずれかとして導入。近江鉄道での入籍に際して、近江鉄道従来車の車籍を継承して竣功したため車番対照不可。
  5. ^ a b モハ9もしくはクハ1208のいずれかとして導入。近江鉄道での入籍に際して、近江鉄道従来車の車籍を継承して竣功したため車番対照不可。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 今城光英・加藤新一・酒井英夫 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) pp.70 - 71
  2. ^ a b c d e f 園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) p.151
  3. ^ a b c d 今城光英・加藤新一・酒井英夫 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) p.70
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 今城光英・加藤新一・酒井英夫 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) p.71
  5. ^ a b c 園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) pp.151 - 152
  6. ^ a b c d e f g 今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.77
  7. ^ a b c 園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) p.152
  8. ^ a b c 佐藤利生 「西武鉄道車両カタログ」 (1992) pp.169 - 170
  9. ^ a b c d e f g 奥野利夫 「50年前の電車 (VII)」 (1977) p.38
  10. ^ 白土貞夫 「私鉄車両めぐり(83) 近江鉄道 下」 (1982) p.284
  11. ^ 中川浩一 「私鉄高速電車発達史(11)」 (1966) pp.47 - 48
  12. ^ a b c d 益井茂夫 「私鉄車両めぐり(39) 西武鉄道 1」 (1960) p.48
  13. ^ a b c d e 吉川文夫 「全国で働らく元西武鉄道の車両 (下)」 (1969) p.35
  14. ^ a b c d 岡崎利生 「西武所沢車両工場出身の車両たち(譲渡車両の現状)」 (2002) pp.214 - 215


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