星一徹 人物像

星一徹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 08:32 UTC 版)

人物像

父親としての一徹

一徹というキャラクターは、日本でもっとも有名な父親像のひとつである。

身を粉にして高度経済成長期を日雇い労働者として支え、同時に息子を一流投手に育てあげ、後に彼の乗り越えるべき最大の壁として立ちはだかる一徹は、昭和中期における理想の父親像でもあった。自分の果たせなかった夢を息子に強要するのは、作中で飛雄馬も繰り返し反発している通り父親のエゴといえる。しかし、戦争や戦後の復興期を生き抜き、支えることだけで精一杯だった戦中戦後の世代にとって、親が子に夢を託すのというのは、時代的な傾向でもあった。

作中、飛雄馬が巨人入りしてからは、一徹も性格が丸くなり「親ばか」「マイホームパパ」と称される場面もあるほど、飛雄馬への優しさを見せるようになる。 しかし、飛雄馬と明子が自立し、親を不要としたその時から、ある種の自覚を抱く。「息子が成長する過程で身近な先輩は父である。先輩は実力で後輩に負けるわけにはいかない」と妻の遺影に語り、以後は飛雄馬の敵の一人として最後まで立ちふさがるようになる。

自分の子供が大人として脱皮するにあたり、言葉ではなく体当たりで自らが男の模範になろうとした一徹なりの父親像と深い愛情は、共に戦う弟子であり、飛雄馬の親友である伴のみが理解するに留まる。他者から「鬼」とさえ称されるほど、表面的には厳しい仕打ちを勝負を通して飛雄馬に与えた。

現実の社会では、1970年代を過ぎて日本が豊かさを取り戻す頃には、家族のあり方に変化が起きはじめた。ホームドラマの影響やコミュニケーションの変化で親子の距離が縮まったほか、経済成長による女性の社会進出で核家族化が進むようになると、「父親は外に出て働き絶対的な権力を持つ」という戦中戦後派の考えが古いものとされるようになり、一徹の「強い父親像」は時代と大きなズレが生じてしまう。

漫画の世界でも、巨人の星のほかに「あしたのジョー」や「愛と誠」など時代を席巻した梶原一騎を筆頭とした大仰な表現を用いた劇画は、ギャグやスマートな作風の漫画に押され姿を消そうとしていた。さらに「ちゃぶ台返し」「火の玉ノック」などが、行き過ぎたスパルタ教育の弊害としてパロディ化されて描かれた。また、1980年代に入り、子供の人権が強調され、体罰が問題視されるようになると、一徹の子供に親の夢を強要させるエゴイズムやスパルタ教育が度々、様々なメディアで育児の悪しき例として槍玉に挙げられ、星一徹の名はスパルタの代名詞に変わった。

一徹の父親像は、時代と親子関係の変化に伴い、その都度メディアに取り上げられるほどの影響力があったのは事実である。しかし、そのパーソナリティの本質である「深い愛情」には一切触れられず、ちゃぶ台返しとスパルタをキーワードに様々な世代に歪められて記憶される結果となってしまった。 その一方で「父性の喪失」に対しては、一徹の存在がある種の郷愁をまとって振り返られるようにもなる。

現在においても『一徹』という名前は「スポーツ選手の父親」の代名詞的存在である。しかし、そこには「息子(娘)をエリート選手に育てようとするあまり、度がすぎて(飛雄馬の様な)歪な人格の持ち主に育ててしまう人物」という揶揄が含まれることが多い。プロ、アマを問わず、一部有名スポーツ選手の親にもそういう性向が見られる。だが、「獅子は千仞の谷にわが子を落とし、這い上がったものを後継とする」という本来の一徹像とは異なるものである。

星一家(星飛雄馬・星一徹・星明子・星春江)は、根性という言葉を常に頭に置いているが、一家は涙もろい面もあり、星一徹でも涙をこぼすこともある。

野球人としての一徹

とかく傑出した野球人の才能を持つ一徹だが、飛雄馬の育成にあたっては「協調性」や「チームプレー」については後手に回らざるをえなかった。秘密主義を通したのは、(昨今の若手スポーツ選手に見られる)早いうちからマスコミに持ち上げられ精神的な成長がないまま自滅するのを嫌ったためであるが、これが後の飛雄馬の個人プレイ体質を促したと言える。[4]

一徹はもっぱら長屋で飛雄馬に一対一で野球を教えており、飛雄馬が初めてチームプレーの野球を経験したのは、皮肉にも野球を嫌悪して家出し、花形満と出逢ったからであった。つまり、父親に押し付けられていた野球を嫌がって家出した少年が、草野球にたまたま参加して野球の本当の面白さを知るという話である。そこで飛雄馬は王によって守備の甘さを突かれるなど個人コーチの限界を味わった。一徹自ら飛雄馬にチームプレイを諭すのは高校野球まで待たなければならない。 青雲高校野球部の短期監督に就任した際などは、大リーグのベルト打法にヒントを得たという「へそ打法」で青雲の打者に飛雄馬の剛球を打ち込ませ「自分一人さえいれば勝てる」と鼻を高くする飛雄馬を打ち込み、チームプレーの尊さを教えた。

一徹の育成方針はいわゆるスパルタ式に相当するものであるが、いたずらに特訓したり単純に精神論を説くというものではなく、技術的な裏付けと目標に到達するための精神(=根性)を育成させるためのである。オズマの大リーグボール打倒ギプスや伴のトレードに関しても、相手を論理的に説得している。

左門豊作が飛雄馬の消える魔球に関する弟、妹たちからのスパイ情報を拒否したことについて、一徹は「勝負魂」として評価していたが、一方で、一徹は明子が口を滑らした情報は採用している(左門も牧場春彦がうっかりして漏らした「スコアを見た星君のお父さんが急に青ざめ…」の言葉から飛雄馬の速球の弱点に気づいた)。

新巨人の星以降の一徹

前作では徹底して息子にたいして冷徹な態度を見せ続けた彼だが本作では自身の身勝手な行いが息子を破滅に導いてしまったと思い後悔し、完全に考え方を改め新巨人の星では飛雄馬にたいしての態度は終始温厚な態度を見せ続けた。当初は彼の巨人復帰を反対していたのは息子の身を案じ彼の将来の事を心配し前作までには無かった父としての優しさの一端が見せる。彼が巨人を復帰して以降は完全に和解しており伴と共闘し彼を支援しこれが大リーグボール右1号の完成に繋がる事となった。この時の特訓の際はかつてのスパルタ的な面影はなく飛雄馬自身の身を案ずるそぶりを見せるなど良き父として息子を支え続けた。実際に飛雄馬との会話でこういうやり方も悪くはなかったと言っている。事実、飛雄馬自身も野球人生でこんな楽しい時間はないと言っていた。下半身につける「大リーグボール養成ギプス右投手用」をわたす際もあくまで飛雄馬自身の選択に委ねておりけして強制はしなかった。


  1. ^ このシーンは後年アニメのエンディングで繰り返し流され、本作を代表するシーンとなった。「巨人の星」が具体的にどの星か、という問はファンの興味を引き、テレビ番組やウェブサイトなどでしばしば取り上げられる。長屋が壊された時、野球への情熱を失っていた飛雄馬は「巨人の星も意味はなくなり、スーパーマーケット上空の星に過ぎん」と言っている。もちろん、星が店の上に固定されているわけではない。『新・巨人の星』では伴重工業グラウンドのベンチから見えた夜の一番星となっている。
  2. ^ 『新・巨人の星』では屋台などで酒をあおる様になったシーンが見られる。
  3. ^ 史実では1986年金山卓嗣コーチ(前年に現役を引退して44番から変更)が初めて着用。以後、2017年現在の早川和夫まで一貫してコーチが着用している。
  4. ^ アニメ第18話では、一徹が一番恐れていた周囲に持ち上げられたことによる飛雄馬の増長が一度現実化している。
  5. ^ 『星一徹のモーレツ人生相談』、「週刊少年マガジン」1969年33号~1970.52号。
  6. ^ 作中ではフレディ表記。
  7. ^ ただし、原作漫画では1回のみである。また、アニメ版の2回目は1回目の回想シーンのため、実質的には一度とも言える。






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