日本長期信用銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 01:04 UTC 版)
歴代幹部
- 原邦道 - 初代頭取、大蔵省出身
- 濱口巌根 - 二代目頭取
- 河野一之 - 副頭取、元大蔵事務次官
- 宮崎一雄 - 三代目頭取
- 杉浦敏介 - 四代目頭取
- 大野木克信 - 八代目頭取
- 鈴木恒男 - 九代目頭取
- 安斎隆 - 十代目頭取、新生銀行へ移行直前に頭取を務めた。退任後、当時のイトーヨーカ堂グループとともにアイワイバンク銀行を立ち上げた。
関連項目
主な関連企業
- 長銀システム開発株式会社(現:新生インフォメーション・テクノロジー(株))
- ファーストクレジット株式会社
脚注
参考文献
- 佐高信『経済戦犯 日本をダメにした9人の罪状』徳間書店、2001年。ISBN 4-19-861385-0。
- 服部泰彦「長銀の経営破綻とコーポレート・ガバナンス」『立命館経営学』第40巻第4号、立命館大学経営学会、2001年11月、31-68頁、NAID 40003735417。
- 伯野卓彦『レクイエム 「日本型金融哲学」に殉じた銀行マンたち』(日本放送出版協会、2007年(平成19年)) ISBN 978-4-14-081159-7
- 長銀が破綻に至るまでと外資に売却される過程をストーリー風に描いた作品。
外部リンク
注釈
- ^ ちなみに、酒井守は若狭国(福井県)の小浜藩主の家系である。
- ^ 長銀経営破綻後、「この常務会で新計画が了承されなければ、破綻を免れたかもしれない」との声は少なくないという。
- ^ 同社代表高橋治則は松浦藩末裔で濱口元首相の遠縁、すなわち高橋の母は、濱口の娘婿と従兄妹である。その濱口雄幸の次男が第二代長銀頭取の濱口巌根、その濱口巌根に引き上げられたのが、後に「長銀のドン」となる杉浦敏介という関係にあった。
- ^ 長銀が1985年(昭和60年)に「イ・アイ・イ・インターナショナル」と取引開始をした際、同社は従業員100名弱のコンピュータ関連機器販売会社に過ぎなかった。その後、杉浦のバックアップで、イ社向け融資は雪ダルマ式に増加していく。しかしバブル崩壊で経営が悪化、1991年(平成3年)、経営は実質的に長銀管理となる。撤退する他の取引銀行を肩代わりすることで融資額はさらに増加し、長銀はさらに深みに入る事になる。結局、1993年(平成5年)7月、二信組問題が表面化することをきっかけに長銀はイ社から撤退した。
- ^ 前述の不良債権飛ばしは、当時の企業会計において連結決算が重視されていないこともあり、厳密には粉飾決算では無かった。
- ^ 長銀の救済に関して、早急な措置がとられなかったことも、長銀破綻に少なからず影響しているとの声もある。
出典
日本長期信用銀行と同じ種類の言葉
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