日本の古代道路
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脚注
参考文献
- 浅井建爾『道と路がわかる辞典』(初版)日本実業出版社、2001年11月10日。ISBN 4-534-03315-X。
- 足利健亮『景観から歴史を読む』日本放送出版協会、1998年、ISBN 4140840919
- 近江俊秀『道が語る日本古代史』朝日新聞出版《朝日選書》、2012年、ISBN 4022599898
- 木下良『古代を考える 古代道路』吉川弘文館、1996年、ISBN 4642021876
- 古代交通研究会(編)『日本古代道路事典』八木書店、2004年、ISBN 4840620210
- 木下良(監修)建部健一(著)『完全踏査 古代の道 -畿内・東海道・東山道・北陸道- 』、吉川弘文館、2004年、ISBN 978-4-642-07932-7
- 静岡県埋蔵文化財調査研究所『曲金北遺跡(遺構編)』財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所 1996年
- 武部健一『道路の日本史』中央公論新社〈中公新書〉、2015年5月25日。ISBN 978-4-12-102321-6。
- 中村太一『日本の古代道路を探す』、平凡社《平凡社新書》、2000年、ISBN 4582850456
- 藤岡謙二郎(編)『古代日本の交通路』(全4巻)、大明堂、1978 - 1979年、1巻 ISBN 4470450154、2巻 ISBN 4470450162、3巻 ISBN 4470450170、4巻 ISBN 4470450189
- 松原弘宣『日本古代の交通と情報伝達』汲古書院、2009年、ISBN 9784762942051
- ロム・インターナショナル(編)『道路地図 びっくり!博学知識』河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2005年2月1日。ISBN 4-309-49566-4。
関連項目
注釈
- ^ 現在までに発見されている日本最古の道路は三内丸山遺跡(縄文時代)の幅12メートルの舗装道路である。
- ^ 記紀神話の記述の信憑性はともかくとしても、西国と奈良盆地を結ぶ交通手段は、まずは大和川や熊野川などを利用した水運であった。この過程で河内湖に面した住吉津難波津などが開かれ、陸側の要衝として重要度を増していた。
- ^ 東京都国分寺市では東山道が発掘されており、その直線道路跡の道幅が12 mあったほか、群馬県では、道幅13mの道路が約10 kmにわたって直線的に続いているのが発見されている[2]。
出典
- ^ 武部健一 2015, p. 29.
- ^ a b ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 135.
- ^ 武部健一 2015, pp. 26–28.
- ^ 武部健一 2015, pp. 29–32.
- ^ 武部健一 2015, pp. 34–36.
- ^ 中村、2000年、p. 35。
- ^ 浅井建爾 2001, p. 84.
- ^ a b 浅井建爾 2001, p. 87.
- ^ 武部健一 2015, p. 35.
- ^ 近江、2012年、pp. 188–189
- ^ 松原、2009年、pp.44-56
- ^ 松原、2009年、pp.187-210
- ^ 今津勝紀 著「税の貢進」、館野和己・出田和久 編 編『日本古代の交通・流通・情報 1 制度と実態』吉川弘文館、2016年、82-83頁。ISBN 978-4-642-01728-2。
- ^ 松原、2009年、pp. 59–60,213–214
- ^ 武部健一『完全踏査 古代の道 -畿内・東海道・東山道・北陸道- 』 pp. 92–95
- ^ 静岡県埋蔵文化財調査研究所 1996
- ^ クロップマーク(ソイルマーク)(渋川市 Webページ)
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