徒競走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/11 04:30 UTC 版)
その他
- 近世江戸期、諸藩が藩士の訓練に徒競走を利用し、一例として、薩摩藩の子供は鹿児島から6里(約24キロメートル)離れた山まで競争した「荒平越えの横引き」を行い、また毎月20日に鹿児島から5里ほど離れた島津義弘の菩提寺・妙円寺まで下士の少年達が参詣する風習があった[2]。内容としては、握り飯を持たせ、朝四ツ(午前10時)に出て、午後2時までに往復9里(約35キロメートル)を競い合い、その中で一番早く着いたものを「筆頭第一」に記し、その日の名誉とした(前同 p.20.)。
関連項目
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