広沢駒蔵 広沢駒蔵の概要

広沢駒蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/19 17:23 UTC 版)

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2代目、3代目は軽妙なけれん読みで人気を博した。

初代

広沢駒蔵1889年 - 1937年2月11日)本名、高津芳太郎。

兵庫県淡路沼島の生まれ。広沢巌輔の門下。得意ネタは「玉川お芳」。関西でありながら関東節の高調子の三味線を初めて使った名人。

弟子には五月一朗

2代目

広沢駒蔵1906年5月 - 1969年3月11日)本名、高津梅太郎。

初代の甥で兵庫県淡路島津名郡(現在の淡路市)の生まれ。ケレン読みの大看板。

3代目

広沢駒蔵1931年7月13日 - 2001年6月22日)本名、美崎正則。

大阪府羽曳野市の生まれ、子供の頃から江州音頭の櫓に上がる。1949年に2代目に入門し広沢駒太郎を名乗る。1961年音楽ショウスカタンボーイズ」(第1次)の結成に参加。1970年に「スカタンボーイズ」を一人抜け浪曲に復帰。1972年に3代目駒蔵を襲名。音楽ショウ時代のアドリブを生かしたケレン読みで多くのレコードやカセットを販売。朝日放送ラジオの「おはよう浪曲」の初代司会者としても知られた。

浪曲復帰後は「木津勘助」「尾張春太郎」「左甚五郎」をよく演じていた。

参考文献

  • 「現代上方演芸人名鑑」(1980年、少年社)



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