山中亮輔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 07:21 UTC 版)
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名前 | ||||||
愛称 | ヤマちゃん、ヤマ、リョウスケ | |||||
カタカナ | ヤマナカ リョウスケ | |||||
ラテン文字 | YAMANAKA Ryosuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1993年4月20日(30歳) | |||||
出身地 | 千葉県柏市 | |||||
身長 | 171cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 名古屋グランパス | |||||
ポジション | DF / MF / FW | |||||
背番号 | 66 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
2000-2002 | 柏エフォートFC | |||||
2003-2005 | 柏レイソルU-12(柏市立柏第五小学校) | |||||
2006-2008 | 柏レイソルU-15(柏市立柏第二中学校) | |||||
2009-2011 | 柏レイソルU-18(千葉県立柏南高等学校) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2012-2016 | 柏レイソル | 35 | (1) | |||
2014 | →ジェフユナイテッド千葉(loan) | 23 | (3) | |||
2015 | →Jリーグ・アンダー22選抜 | 4 | (0) | |||
2017-2018 | 横浜F・マリノス | 54 | (5) | |||
2019-2021 | 浦和レッズ | 77 | (2) | |||
2022-2023 | セレッソ大阪 | 44 | (0) | |||
2024- | 名古屋グランパス | |||||
代表歴2 | ||||||
2018-2019 | 日本 | 2 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月15日現在。 2. 2019年6月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
サッカー日本代表史上初出場からの最速得点記録保持者(初出場から2分、2018年)。
来歴
プロ入り前
小学校4年時に柏エフォートFC(柏レイソル提携クラブ)から柏レイソルのアカデミーに加入。高校時代から各世代の年代別日本代表に選出された。2010年2月、16歳でトップチームに2種登録された[1]。2011年、まだ下部組織所属の高校生でありながらクラブワールドカップのメンバーに登録され、出場機会はなかったもののベンチ入りを果たした[2]。
柏レイソル
2012年、トップチームへ昇格[3]。同年のJ1最終節鹿島アントラーズ戦で公式戦初出場を果たすと、天皇杯では4回戦の横河武蔵野FC戦で初先発。準決勝の横浜F・マリノス戦では、出場停止の橋本和に代わり左サイドバックで先発出場し、積極果敢な突破やゴールライン際でのクリアなど堂々たるプレーを披露し、チームの優勝に貢献した。
2013年、第2節FC東京戦で途中出場。第3節ベガルタ仙台戦でJ1リーグ初先発すると、後半レアンドロ・ドミンゲスの同点ゴールのアシストを記録するが、終了間際に決勝点となる失点に絡み、守備への課題も見せた。第6節ヴァンフォーレ甲府戦で通算450分出場を達成し、プロA契約を締結した[4]。第9節サンフレッチェ広島戦では対面するミキッチとの攻防でサポーターを沸かせた。この年はリーグ戦4試合に先発、計10試合に出場した。
2014年、J2・ジェフユナイテッド千葉に期限付き移籍[5]。第2節ファジアーノ岡山戦でプロ初ゴールを記録した。
2015年、柏に復帰[6]。監督の吉田達磨の「俺たちには山中がいるじゃないか」[7] という言葉に表れるように期待は大きかったが、同じくユース出身の輪湖直樹に出場機会を譲ることが多く、リーグでは11試合の出場に終わった。退任が決まっていた吉田はリーグ戦最終節の試合後に山中について触れ[8]、今後の成長に期待を寄せた。
2016年、オリンピック予選での活躍から始まった。開幕直後はシーズン当初に監督を務めたミルトン・メンデスからスーパーサブとして起用され、下平隆宏に監督交代した当初も負傷はあったが[9]、先発出場の機会も得た。4月30日の1st第9節ヴィッセル神戸戦で直接FKからJ1リーグ初得点。しかし5月8日の1st第11節川崎フロンターレ戦の試合終了間際に再び負傷し[10]、離脱を余儀なくされた。この間にチームでも定位置を失い、オリンピック本戦の最終メンバーからも落選となった。その後の先発出場の機会は、輪湖の出場停止によって得た9月25日の2nd第13節ヴァンフォーレ甲府戦のみであった。
横浜F・マリノス
2017年、横浜F・マリノスへ完全移籍[11][12]。第15節のFC東京戦で初スタメンを飾ると第17節の大宮アルディージャ戦で左サイドからミドルシュートを決めそこからチームの要としてレギュラーに定着した。
2018年、アンジェ・ポステコグルーが監督に就任すると「偽サイドバック」として話題を集め、代表視察に訪れたコーチからも褒められるなど着々と実力を伸ばし、日本屈指の左SBに成長した。8月10日、トルコリーグ1部、イスタンブール・バシャクシェヒルFKから完全移籍でのオファーが来ていることを認めたが残留した[13]。
浦和レッズ
2019年、浦和レッズへ完全移籍[14]。チーム自体がクラブ史に残る低迷を始めており、2017年から毎シーズン監督が代わり続ける中、同期入団のエヴェルトン、杉本健勇、鈴木大輔といった新戦力と同様にチームにフィットせず、ちぐはぐな強化方針の犠牲者の一人となった[15]。クラブは山中の不振により、夏に関根貴大を呼び戻す必要に迫られた。その後、クラブは強化部を一新、2020年を「変革元年」、2021年は「飛躍の年」、2022年に「リーグ優勝」を掲げた[16]。
セレッソ大阪
2021年12月26日、セレッソ大阪へ完全移籍[17]。 12年間に渡って左サイドバックの地位を築いていた丸橋祐介が精彩を欠く中で、小菊昭雄監督によってスタメンに抜擢され活躍、守備力も向上し、以降は怪我による離脱期間以外は先発出場だった[18]。
2023年、前年に引き続いて唯一無二の高精度のクロスで不可欠な存在であり、11節のガンバ大阪戦では代名詞のクロスで決勝点をアシストして勝利に貢献したが、結果的にこれがセレッソで記録した最後のアシストとなった。その後は、怪我で長期離脱してほとんど出場が無く、シーズン終了となった[19]。
名古屋グランパス
名古屋グランパスからオファーを受けて、2024年より完全移籍で加入。
日本代表
2018年11月7日、キリンチャレンジカップに挑む日本代表に初招集された。同年11月20日のキリンチャレンジカップの対キルギス戦でスタメンとして代表デビューを果たし、日本代表史上最速の代表デビューから2分で初得点を挙げた[20]。
プレースタイル
左サイドであればどこでもこなすユーティリティ性のある選手。またキック力にも定評があり、遠目からの低い弾道のミドルシュートやフリーキックも得意とする。ジェフ千葉在籍時の3ゴールはいずれもミドルシュートやロングシュートによるもの。
2022年、セレッソ大阪でチームメイトのアダム・タガートからは「信じられないほど素晴らしいクロスを供給してくれる。チームの大きな武器です」と褒められた[21]。
- ^ 『柏レイソルU-18 山中亮輔選手がトップチーム選手登録』(プレスリリース)柏レイソル、2010年2月20日 。
- ^ 『FIFAクラブワールドカップ ジャパン 2011 準決勝』(プレスリリース)柏レイソル、2011年12月14日 。
- ^ 『柏レイソルU-18所属 山中亮輔選手が新加入』(プレスリリース)柏レイソル、2011年12月27日 。
- ^ 『山中 亮輔選手 プロA契約へ』(プレスリリース)柏レイソル、2013年4月25日 。
- ^ 『山中亮輔選手加入のお知らせ』(プレスリリース)ジェフユナイテッド市原・千葉、2013年12月28日 。
- ^ 『山中 亮輔選手 柏レイソルに復帰』(プレスリリース)柏レイソル、2015年1月7日 。
- ^ 『柏に復帰したDF山中に指揮官が懸ける期待「俺たちには山中がいるじゃないか」』(プレスリリース)ゲキサカ、2015年1月18日 。
- ^ 『2015明治安田生命J1リーグ 2ndステージ 第17節』(プレスリリース)柏レイソル、2015年11月22日 。
- ^ 『山中 亮輔選手の負傷について』(プレスリリース)柏レイソル、2016年4月7日 。
- ^ 『山中 亮輔選手の負傷について』(プレスリリース)柏レイソル、2016年5月11日 。
- ^ “山中 亮輔選手 横浜F・マリノスへ移籍”. 柏レイソル (2016年11月18日). 2016年11月18日閲覧。
- ^ “山中亮輔選手 移籍加入のお知らせ”. 横浜F・マリノス (2016年11月18日). 2016年11月18日閲覧。
- ^ 山中 横浜残留を明言!トルコ1部からのオファー拒否 スポニチ(2018年8月18日)2018年10月5日閲覧。
- ^ “山中亮輔選手 横浜FMから完全移籍加入のお知らせ”. 浦和レッドダイヤモンズ (2019年1月10日). 2019年1月10日閲覧。
- ^ “浦和レッズ、クラブ史に残る低迷の原因は…。期待外れの大型補強、監督交代も効果なし【2019年Jリーグ通信簿】”. 2022年8月7日閲覧。
- ^ “浦和レッズが完全に“中堅クラブ化” 復活の糸口は果たしてあるのか?”. 2022年8月7日閲覧。
- ^ 『山中 亮輔選手 完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)セレッソ大阪、2021年12月26日 。2021年12月26日閲覧。
- ^ “【名古屋】C大阪の元日本代表DF山中亮輔を完全移籍で獲得 左サイドバックのスペシャリスト”. 2023年12月21日閲覧。
- ^ “2023明治安田生命J1リーグ第11節 2023明治安田生命J1リーグ”. 2023年12月1日閲覧。
- ^ 山中、キルギス戦で史上最速の代表デビューから2分で初ゴール 中日スポーツ 2018年11月21日
- ^ “セレッソFWアダム・タガートが語る日本での日々。Jリーグに魅せられ、母国の選手には「機会があれば、すぐにでも来てほしい」”. 2023年12月12日閲覧。
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