宇奈岐日女神社 歴史

宇奈岐日女神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 21:37 UTC 版)

歴史

創建

社伝によれば、創祀は景行天皇12年10月であるという[5]。『神社明細帳』では、景行天皇が征西のおりに当地で祭を営んだといい、同天皇3年に速津姫が勅を奉じて創祀したという伝承を伝える[1]

当社は由布岳の南西山麓に鎮座している。『太宰管内志』では「木綿山にます神なので木綿ノ神社ともいう」という記述があるほか、『豊後国志』でも宇奈岐日女神は由布山神であると記されており、元々は由布岳を神体山として成立した神社であると見られている[1]

一方、由布院盆地が古くは湖であったという伝承に基づき、ウナギ(鰻)を精霊として祀ったことに始まって、のちに由布岳の神と習合したという推測もある[1]

概史

国史の初見は嘉祥2年(849年)に従五位下の神階に叙せられたという記述であり、元慶7年(883年)には正五位下に昇叙された。これらの奉叙は、「宇奈岐比咩神(宇奈支比咩神)」に対して行なわれている。

平安時代中期の『延喜式神名帳には豊後国速見郡に「宇奈岐日女神社」と記載され、式内社に列している。

江戸時代までは佛山寺習合していたが、神仏分離により現在の姿となった。明治6年(1873年)には近代社格制度において郷社に列し、大正12年(1923年)には県社に昇格した。

神階

境内

境内は1万坪を超え、の古木に囲まれていたが、平成3年(1991年)の台風で数多く倒壊等の被害を受けた。

本殿は朱塗の流造。また、大鳥居が由布院の中心部に立つ(北緯33度15分48.49秒 東経131度21分24.05秒 / 北緯33.2634694度 東経131.3566806度 / 33.2634694; 131.3566806 (大鳥居))。

摂末社

境内社

  • 政正社
  • 厳島神
  • 御年神社

境外末社

大杵社(右)と大スギ(国の天然記念物)

  1. ^ 湖でないことの証拠としては、湯布院町佐土原地区のボーリング調査における地下20-30メートルからの2万3千年前の木片の発見、由布院小学校駐輪場付近からの弥生時代の土器の発見、湖ならばあるはずの珪藻土の未発見が挙げられる(『蹴裂伝説と国づくり』(鹿島出版会2011年)p. 210)。
  1. ^ a b c d e 『日本の神々』宇奈岐日女神社項。
  2. ^ 『大分県の地名』宇奈岐日女神社項。
  3. ^ 湯布院(由布院)の歴史(ゆふいん観光サイト)。「由布院盆地」も参照。
  4. ^ a b c 『蹴裂伝説と国づくり』9章。
  5. ^ 境内説明板。


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