孝霊天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/10 03:56 UTC 版)
年譜
『日本書紀』の伝えるところによれば、以下のとおりである[2]。機械的に西暦に置き換えた年代については「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧」を参照。
- 孝安天皇76年
- 1月、立太子
- 孝安天皇102年
- 孝霊天皇元年
- 1月、即位
- 孝霊天皇2年
- 2月、細媛命を立后
- 孝霊天皇36年
- 1月、彦国牽尊を立太子
- 孝霊天皇76年
- 2月、崩御。宝算は128歳、『古事記』では106歳という[3]
- 孝元天皇6年
- 9月6日、片丘馬坂陵に葬られた
宮
宮(皇居)の名称は、『日本書紀』『古事記』とも黒田廬戸宮(くろだのいおどのみや)[4]。
宮の伝説地は『和名類聚抄』の大和国城下郡黒田郷と見られ、現在の奈良県磯城郡田原本町黒田周辺と伝承される[4][3]。同地では、法楽寺境内に「黒田廬戸宮阯」碑が建てられている(北緯34度34分4.77秒 東経135度46分30.21秒 / 北緯34.5679917度 東経135.7750583度)[5](詳しくは「庵戸宮」を参照)。
陵・霊廟
陵(みささぎ)の名は片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)。宮内庁により奈良県北葛城郡王寺町本町3丁目の丘陵に治定されている(北緯34度35分22.56秒 東経135度42分6.19秒 / 北緯34.5896000度 東経135.7017194度)[6][7][8]。宮内庁上の形式は山形。
陵について『日本書紀』では前述のように「片丘馬坂陵」、『古事記』では「片岡馬坂上」の所在とあるほか、『延喜式』諸陵寮では「片丘馬坂陵」として兆域は東西5町・南北5町、守戸5烟で遠陵としている[8]。しかし後世に所伝は失われ、元禄の探陵で現陵に治定された[8]。
また皇居では、宮中三殿の1つの皇霊殿において他の歴代天皇・皇族とともに孝霊天皇の霊が祀られている。
香川県東かがわ市水主に孝霊天皇を祭神とする孝霊神社がある。
孝霊天皇と同じ種類の言葉
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