大炊御門経秀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/07 22:53 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 |
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 宝永8年3月1日(1711年4月18日) |
死没 | 宝暦2年11月15日(1752年12月20日) |
別名 | 号:法台寺 |
官位 | 正二位、内大臣 |
主君 | 中御門天皇→桜町天皇→桃園天皇 |
氏族 | 大炊御門家 |
父母 |
父:大炊御門経音 母:菊姫(上杉綱憲の養女)[1] |
兄弟 | 経秀、鷲尾隆煕 |
妻 | 醍醐冬熙の娘 |
子 | 家孝 |
経歴
正徳2年(1712年)叙爵し、以降清華家当主として早いスピードで累進し、侍従・左近衛少将/中将を経て、享保9年(1724年)に従三位に達して公卿に列した。その後も踏歌節会外弁・権大納言を経て、延享4年(1747年)に右近衛大将・右馬寮御監となる。寛延2年(1749年)に内大臣に就任するも辞職。
系譜
|
- 1 大炊御門経秀とは
- 2 大炊御門経秀の概要
固有名詞の分類
- 大炊御門経秀のページへのリンク