土曜ショー
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土曜ショー(第2期、1974年10月 - 1975年9月)
第1期の終了から2年後、1974年10月より再び『土曜ショー』のタイトルで放送開始する。
エンディングテーマは司会者である高島忠夫と堀江美都子の『お父さん』(作詞:丘灯至夫 / 作曲:遠藤実 / 編曲:只野通泰)。
タモリのテレビ初出演
特筆すべき放送回として、1975年8月30日に放送された、漫画家の赤塚不二夫が出演した「マンガ大行進 赤塚不二夫ショー」があり、この回に当時福岡から上京し赤塚宅に居候していたタモリが出演した(これがタモリ自身初のテレビ出演であり、芸能界デビュー作でもある)[4][5]。当時黒柳徹子が偶然この番組を視聴しており、タモリが披露する芸を見て興味を持ったことから、『13時ショー』(当時黒柳が司会をしていた平日午後の番組。現在の『徹子の部屋』の源流である)の企画「珍芸スターお笑い大行進」にタモリが出演することとなる(これも赤塚とともに出演)[6][7]。これが後年の『徹子の部屋』におけるタモリの年末恒例出演(1978年 - 2013年、2021年 - 現在)へも繋がることとなる。
番組終了とその後
1975年9月で番組は終了し『土曜ショー』は8年近い歴史(中断期間を除く)に完全に幕を下ろし、同時に、10年弱続いたNET→テレビ朝日土曜昼の情報系番組は中断する(その間は『独占!女の60分』→『天下の達人!4本勝負』とバラエティ番組が続く)が、1993年4月放送開始の『邦子がタッチ』で再開。その後『陽気にカプチーノ』(1997年4月 - 9月)を最後に再び途絶えた後、2019年4月27日より中居正広司会の『中居正広のニュースな会』[8]がスタートし、21年半ぶりにテレビ朝日土曜正午枠の情報系番組が復活した。
- ^ a b “泉谷しげる、番組を終了に追いやった過激発言/昭和スター破天荒列伝(3)”. アサ芸プラス. 株式会社徳間書店 (2020年1月26日). 2021年11月30日閲覧。
- ^ 岩波書店発行のブックレットNo.357「戦後史に見るテレビ放送中止事件」によると、その商品は「鶏肉の缶詰」(焼き鳥)だったという。
- ^ 泉谷の出演禁止はその後解除され、1979年にテレビ朝日系で放送されたスペシャルドラマ『戦後最大の悲劇 吉展ちゃん殺人事件』では犯人・小原保役を演じた。これ以外では主に、2000年4月〜9月放送の『週刊ワイドコロシアム』で司会を務めたほか、CS放送テレ朝チャンネルでは冠番組『泉谷しげると翼なき野郎ども』が放送された。
- ^ “タモリ”. お笑いナタリー. ナターシャ. 2021年10月15日閲覧。「略歴」を参照。
- ^ “『ギャグゲリラ』のテレビ番組があった?”. 赤塚不二夫保存会/フジオNo.1 - gooブログ (2017年11月5日). 2021年10月15日閲覧。
- ^ “タモリは無名時代に黒柳徹子に「徹子の部屋」に呼ばれていた!”. こいもうさぎのブログ. 2021年11月30日閲覧。
- ^ “「『大タモリ年表』第2弾公開」タモリのデビューと『徹子の部屋』”. てれびのスキマ (2014年3月20日). 2021年10月15日閲覧。
- ^ 現『中居正広のキャスターな会』。
- 1 土曜ショーとは
- 2 土曜ショーの概要
- 3 土曜ショー(第1期、1966年4月 - 1972年9月)
- 4 土曜ショー(第2期、1974年10月 - 1975年9月)
- 5 司会
- 6 関連事項
固有名詞の分類
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