原田道一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 04:06 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動来歴
高山市生まれ。1941年春から半年間、三重県津市景雲寺(尼寺)に預けられ、剃髪。1963年駒澤大学仏教学部卒業。曹洞宗教化研修所青年コース(4年間)修了。岐阜県立高校教諭(倫理と社会科)を経て、正宗寺住職となる[1]。住職としての職責のほか講演会、音楽会などを企画、運営。地元飛騨の地域、文化活動に積極的に関わる[2]。
著書に「出あうところ わがいのち」「脳幹鍛練で『自分流の生き方』をつくる -いま、身心一如の時代に必要なこと」など[3][4]。
- 出家は5才、津市の景雲寺にて。1976年、米国の片桐大忍老子を訪問[5]。
- 鎌倉の円覚寺では、相田みつをと中学生だった相田一人館長、生前の坂村真民と坐禅会に参加し交流があった。正宗寺の境内には「念ずれば花ひらく」と「大宇宙 大和楽」の詩碑が建立されている[6]。
出典
外部リンク
- 著書 | 国立国会図書館
- 念ずれば花開く | 曹洞宗岐阜県宗務所
- 原田道一 (@onebowlcom) - Twitter
- 曹洞宗 正宗寺 | 曹洞禅ナビ
- ^ 紀伊国屋書店. “著者紹介”. 2020年3月28日閲覧。
- ^ 飛騨慈光会. “「遠藤伸子のシャンソンとフラダンスの集い」2012年10月26日”. 2020年3月28日閲覧。
- ^ 紀伊国屋書店. “著書”. 2020年3月28日閲覧。
- ^ 傳書房. “「出あうところ わがいのち」原田道一著”. 2020年3月28日閲覧。
- ^ memoro. “原田道一”. 2020年3月28日閲覧。
- ^ 相田みつを美術館. “わたしに残された坂村真民の遺稿 2014年5月30日”. 2020年3月28日閲覧。
- 1 原田道一とは
- 2 原田道一の概要
- 原田道一のページへのリンク