円成寺 (奈良市)
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文化財
木造大日如来坐像
「木造大日如来坐像 運慶作 1躯」の名称で国宝に指定されている。本像は、鎌倉時代を代表する仏師運慶の現存するもっとも初期の作品であり、安元2年(1176年)に完成した[1]。智拳印を結んで結跏趺坐(けっかふざ)する大日如来像で、像高98.8センチメートル。ヒノキ材の寄木造、漆箔仕上げで眼は玉眼(水晶を嵌め込む)とする。運慶の生年は不明であるが、その長男の湛慶が承安3年(1173年)の生まれであることから、運慶本人は12世紀半ば頃の生まれと推定される。したがって、1176年作の本像は運慶20歳代の初期作ということになる[8][9]。
本像の理知的な顔立ち、均整のとれた像容、肌の弾力や着衣の質感を感じさせる写実的表現などは、定朝様式に代表される平安時代の仏像の様式とは一線を画すものであり、鎌倉時代における新たな仏像彫刻の展開の先駆けとなる重要な作品と位置づけられている[9][10]。
本像の構造は、頭体の根幹部を正中矧ぎ(左右二材矧ぎ)とし、頭部は三道下(首の下)で割矧(わりはぎ)とする。これに両脚部を構成する横一材と、左右の腰部を形成する三角形状の各一材を矧ぎ、肩から先の両腕部も別材である。このような木寄せ法は、この時代の寄木造に典型的なものである[11]。両腕部は肩、肘、手首の3か所を矧ぐのが一般的だが、本像の場合はもう1か所、上膊の半ばの臂釧(ひせん、腕飾り)の位置でも矧いでおり、運慶が智拳印を結ぶ両手の位置の調整に苦心したことがうかがえる[12]。このほか、頭頂の髻(もとどり)や肩・耳に掛かる垂髪も別材を矧ぐ。また、条帛(じょうはく、左肩から斜めに掛かる布)を体部材から彫り出すのではなく、別材製のものを張り付けているのは珍しい技法である[10]。像は材を厚く残して内刳を行い、外からは見えない胎内も平滑に仕上げ、漆塗仕上げとしている[11]。
運慶が後に制作した仏像では、如来像には玉眼を用いていないが、初期作である本像は例外である[11]。本像の光背は当初のものだが、二重円相と呼ばれる中心部分と、光脚と呼ばれる部分のみが残り、周縁の部分は失われている。台座は蓮肉部と、蓮弁の大部分が当初のものである[10]。
台座蓮肉の天板の裏面に以下の墨書銘がある[13]。
運慶承 安元元年十一月廿四日始之/給料物上品八丈絹肆拾参疋也/已上御身料也/奉渡安元弐秊丙申十月十九日/大仏師康慶/実弟子運慶/(花押)〔「/」は改行を示す。「丙申」は原文では小字で横書きとする。〕
この銘文から、本像は康慶の「実弟子」である運慶が安元元年(1175年)11月に造り始め、1年近くをかけて翌安元2年10月に完成したこと。造像の報酬として絹を支給されたことがわかる。「実弟子」とは、「実子でかつ弟子である」という意味に解釈されている。この銘文は全部が1人の執筆ではないが、少なくともその一部は運慶の自筆であるということで、大方の研究者の意見が一致している[8]。日本の仏像彫刻史において、仏師自らが筆を執り、作者としての自らの名を残した最初期の例として注目されている[14]。
元は本堂内に安置されていたが、多宝塔安置を経て、現在は相應殿へ移されている[15]。
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大日如来像・上半身
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大日如来像・全姿
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大日如来像・側面
国宝
- 春日堂・白山堂
- 木造大日如来坐像 - 解説は既出。
重要文化財
- 本堂(阿弥陀堂)
- 楼門
- 宇賀神本殿
- 石造五輪塔 - 元亨元年(1321年)在銘。寺の西南200メートルの共同墓地内に所在[16]。
- 木造阿弥陀如来坐像 - 本尊。平安時代。天永3年(1112年)南山城小田原の迎接上人経源が祀ったもの。坐高145.4cmで上品上生の定印を結んだ定朝様式藤原和様の半丈六坐像。宝相華唐草透彫の光背をもち、九重蓮台に安座されている。
- 木造四天王立像 - 鎌倉時代。鎌倉様式による木造彩色の神将像。なかでも持国天像の台座裏には「建保5年(1217年)4月4日ヨリ云々」の銘文があり、康勝(運慶の四男)の作ではないかといわれている。
国指定名勝
- 円成寺庭園
重要美術品
- 十三重石塔
奈良県指定有形文化財
奈良市指定有形文化財
- 鎮守社拝殿 附:棟札 1枚
- 絹本著色両界曼荼羅図(金剛界曼荼羅・胎蔵曼荼羅)2幅 - 鎌倉時代、後白河法皇が寄進したという。
- 黒漆塗宮殿形厨子 1基
- 絵像奉懸厨子 2基
その他
- 十一面観音立像 - 平安時代、旧本尊。
- 鐘楼 - 寛文7年(1667年)再建。
- 知恩院縁起絵巻 - 文明14年(1482年)に、当寺の栄弘が足利義政の使者として朝鮮に赴き、高麗版大蔵経を請来した事実を、寛政元年(1789年)に絵巻(3巻)として描いたもの。
- ^ a b “柳生街道散策ガイドブック”. 奈良市奈良ブランド推進課. 2022年9月11日閲覧。
- ^ (清水、1990)、pp.141, 184, 185
- ^ (清水、1990)、pp.142, 186
- ^ (清水、1990)、pp.142 - 143, 148, 186
- ^ (清水、1990)、pp.144, 167 - 168
- ^ (清水、1990)、pp.142, 160 - 162
- ^ (清水、1990)、p.143 - 144, 148
- ^ a b (清水、1990)、p.158
- ^ a b 『週刊朝日百科 日本の国宝』58、pp. 252 - 253
- ^ a b c 『月刊文化財』358、p.4
- ^ a b c (清水、1990)、p.159
- ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』58、p. 253
- ^ (清水、1990)、p.157
- ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』58、p. 252
- ^ なら旅ネット(奈良県観光公式サイト)
- ^ 寺公式サイトによる。
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