六角氏 系図

六角氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 00:10 UTC 版)

六角氏(ろっかくし)は、武家士族だった日本氏族宇多源氏佐々木氏の流れで、鎌倉時代から戦国時代にかけて近江国南部を中心に勢力を持った武家守護大名)。藤原北家流の公家六角家とは血の繋がりはない。佐々木六角氏とも言う。


注釈

  1. ^ 前世代に当たる信綱兄弟の分家などはすぐに被官化している。[7]
  2. ^ 1467年から1470年に「御屋形様」として文書を発給している。
  3. ^ 『近江六角氏の研究動向』では某として不詳、『八日市市史』第2巻では山内政綱の一族と推定する。
  4. ^ 寛永諸家系図伝』では、頼綱の跡は子・宗信(宗継)で、その後成綱・宗綱と直系で続き、成綱弟・時信へ至る。続編の『寛政重修諸家譜』は事蹟の年代などから宗信(宗継)成綱・宗綱・時信を兄弟と考証・修正して記載している。

出典

  1. ^ 国史大辞典』第14巻、[要ページ番号]
  2. ^ 八日市市史編さん委員会 1983, p. 75.
  3. ^ 滋賀県蒲生郡 編『近江蒲生郡誌 巻2』滋賀県蒲生郡役所、1922年、68頁。 
  4. ^ a b 下坂 2015, p. 48.
  5. ^ 近江蒲生郡誌 1922, pp. 189, 190.
  6. ^ 下坂 2015, pp. 49–50.
  7. ^ 下坂 2015, pp. 48–49.
  8. ^ a b 新谷 2015, p. 8.
  9. ^ 下坂 1983, pp. 124–127.
  10. ^ 新谷 2015, pp. 8, 9.
  11. ^ 新谷 2015, p. 11.
  12. ^ a b 新谷 2015, pp. 11, 12.
  13. ^ a b c 村井 2012, p. 18.
  14. ^ 下坂 1983, p. 202.
  15. ^ 『蔭涼軒日録』明応元年10月~12月条
  16. ^ 『大乗院寺社雑事記』明応5年10月19日、12月22日条
  17. ^ 『後法興院記』明応8年11月22日条、『鹿苑日録』11月22日条
  18. ^ 新谷 2015, pp. 12–13.
  19. ^ a b 佐々木 2006, pp. 111–116.
  20. ^ 新谷 2015, p. 17.
  21. ^ 新谷 2015, pp. 19–23.
  22. ^ 村井 2019, p. 284-287.
  23. ^ 『信長公記』第7巻
  24. ^ 村井 2012, p. 56.
  25. ^ 太田 1963, p. 6572.
  26. ^ 佐々木 2006, pp. 172–173.
  27. ^ 断家譜
  28. ^ 村井 2019, p. 292-297.
  29. ^ 村井 2019, p. 70.


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